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神々の美の世界
京都の神道美術

 

京都国立博物館

2004年8月10日〜9月20日

04/12/15

(付録 正倉院裂復元模造の十年)

これもだいぶ前に開催された展覧会なのだが、非常に興味深い展覧会であり、何も触れずにおくのはあまりにも惜しい。ということで、ぜひ何としても取り上げたいと思い、少し遅くなったけれども、ここに記録しておくことにした。

副題に「京都の神道美術」とあるように、この展覧会は、基本的に京都府下にある神社の持つ社宝を持ちよって、ずらりと並べたものである(例外もあり)。

京都の神社と言っても有名なものから小さい無名の神社まで種々雑多なものがある。
八坂神社、北野天満宮、伏見稲荷、石清水八幡宮と、日本中で名の通っている神社は数多い。しかも、全国にある神社の総本宮や総本社が京都にある、というものも多い。

つまり、この展覧会は、単に京都という一地方の神社のお宝を持ち寄って集めた、地方神社のお宝自慢、というよりは、…わりとそういう性格もあったりするのがトホホなのだが…、しかしただ単にそれだけではなく、ある意味では、もはや日本の神々の歴史を俯瞰した壮大な絵巻、と言えなくもないのではないか。そういう意味で非常に意義のある催しだったと思う。

 


相変わらず美しい博物館本館にうっとり
玄関に「神々の美術」の看板

ただ私はこれまで、神社というものに対して積極的な興味がなかったこともあり、神社が有するお宝といっても、どんなものがあるのか見当がつかず、戸惑いがあったのは確かだ。

ひとつには、神社によって、そこが誰をおまつりしているか、何を得意としているか(交通安全祈願、家内安全、子宝成就、等)で奉納される物品も、そこが持っている社宝もまったく違って来るだろう。

しかし、それが、それもまた、神の世界を垣間見ることは、人の歴史を紐解くことでもあるのだと思い至った。

先祖の残した数々の品は、日本人が何を考え何を思い、何を望んで何を尊んだかを教えてくれる。それは、神であれ、仏であれ、日本人の先祖が営み、残して来たものということでは変わらない。
神の歴史を辿ることはまた、人の歴史を知ることでもあるだろう。そんなわけで、神の世界にもふみ込んでみたい、と思ったのであった。


豊国祭礼図屏風 豊国神社 重文

 

仏像や、寺院建築はよく研究され、また美術的に評価されているけれども、神社とか、ましてや神社に奉納されている宝物をあれこれ学術的に評価されることは少ないのではないかと思っていた。

神社の建物は式年遷宮。建替えが基本ということもあった。

また神社に行って、吹きさらしの狛犬を見ても普通、我々は、これはいつの年代の、何時代の様式だ、などと言って見ることはしないだろう。好きもののマニア以外はせいぜい、ああ、神社の入り口にいる狛犬だ、という認識しかしないものだ。

けれども、この狛犬さえ古いものになるとちゃんと重要文化財指定がされているのである。
八坂神社のそれなどは、重要文化財指定だった(鎌倉時代)。

しかし、そういう物(古くて、指定などされているようなもの)は、たいてい表には出さず、収蔵庫とか、しかるべき博物館に預けて保存してもらっているようだ。
普通の神社では、古いものを維持・保存しようとしても素人なので知識もなく、動かしただけでボロボロと崩れたりするので、専門の博物館に預けているという。
うちの近所の神社も、そんなわけで預けているということだった。

だから、えっ、こんな無名の神社がこんな宝物を持っていたのか?と思うものが非常に多い。
また、そのために、神社が数多くの社宝を所持していることが、外部には分かりづらくなっている。

 

京都の神社は、とりあえず歴史が古い。幾多の戦火や火災によって再三焼かれたようだが、復興されて今に名を残している神社は、つい2、300年ということはない。最低でも7、800年くらいは経っている。だから、その分の奉納された宝物が、一見小さな神社に見える所にも残されているのである。

うちの近所の無名の神社も出品していたのでびっくりした。しかも、2ヶ所も。
行ってみるまで、出品しているなんて知らなかったので驚いた。

ひとつは桃山時代から江戸時代くらいの狛犬、もうひとつの神社のものは平安時代から鎌倉時代にかけての神像だということだった。
近所と言っても、侮れないのであった。

ひとつの神社は、菅原道真を最初に奉ったという謂れがあるらしいから、それこそ千年の歴史があるのだろう。本当かどうか知らないが。

ごく庶民的な、普通の神社だと思っていた所にも、古いものが残っているのは、さすが京都と言うべきなのだろうか。
いや、神社というところは、こんなにも沢山の宝物を抱えているのかと、驚いたのだった。


国宝・海部氏系図

とあったが、かいふとは読まず、特別な読み方があるらしい。
ただのキチャナイ紙片のようだが…
系図として最古のものなのだろうか。国宝というからには

出品されているもので最も古いものでは飛鳥時代のものがある。小野毛人の墓誌、というのであった(崇道神社)。
海部氏の系図は平安時代のものだ。

出品物の中では、江戸時代のものが一番多いものの、平安時代、鎌倉時代、室町、南北朝、桃山時代と、ほぼくまなく時代をカバーしているのも、当然とは言えさすがだ。
鎌倉時代の狛犬、なんていうのはやっぱり値打ちがあると思う。

 

おおむね、多いのはやはり神像(男・女坐像)と狛犬である。

神像は坐像が殆どで、すべて木製だ。一木造のような感じの荒っぽいものである。
仏像とはまったく違うが、作成する時には仏像を参考にしたのかもしれない。ある程度の様式というものがある。
滅多に、というよりも、神像というものをまったく見たことがなかったので、非常に面白い。

神像には特定の神はあまりなく、ただ神像とされているものが多い。しかし、菅原道真と思われる像があった。文化財指定はなく、忘れてしまったので大したものではなかったかもしれない。

神像は平安時代のものが多いのだが、それくらい古いものだと、仏像なら普通、少なくとも重文指定くらいはされているだろう。けれども神像にはそういった文化財指定はあまりない(まれにあるものもある)。

見れば分かるのだが、木製の粗い、粗末な作像で、作りがぞんざいというか、いいかげんというか、仏像のような丁寧さがそれほどないのだ。仏像ほどには、真剣に作られなかったということなのだろうか。
それならなぜ、そうなったのだろうか。見れば見るほど疑問と興味が涌いて来る。

狛犬は獅子とどう違うのか、また、古いものでは変わったポーズのものがあるなど、時代によって変わって来る。私には、狛犬や獅子の年代基準が分からないため、記憶出来なかったが、究めるととても面白い世界だろう。

 

そして、神社の縁起絵巻というものがかなり出品されていたのが興味深い。
たとえば、賀茂別雷神社(上賀茂神社)なら賀茂祭(葵祭のこと)絵巻とか、石清水八幡宮なら八幡宮縁起絵巻とか。その神社の成り立ち、そして、昔の祭の様子などが描かれているのだ。
祇園祭礼図屏風というものもあった。

さらに、祇園社絵図とか、北野社絵図というふうに、昔の時代の神社の様子が絵に描かれているのも興味深い。
八坂神社は鎌倉時代のもの、北野天満宮は室町時代のものだから、当時、神社がどのような様子であったかが分かる。

洛中洛外図のひとつも出品されていたから、京の都の昔の様子を、ともども思い描くことが出来るようになっていた。

中では今宮やすらい祭りの屏風図がものすごい(何だか乱暴な絵で笑えた)。


北野天神縁起・弘安本 重文

神社のお宝として有名なのは、北野さんで親しまれている、北野天満宮の「北野天神縁起絵巻」だろう。これは国宝であり、全国的に有名だ。

今回、ラインナップに入っているので楽しみにしていたが、展示されていたのは「弘安本」というやつ。
あの有名な、雷神がイカリの雷を降らせて人々をやっつけまくる、あの絵巻とは似ても似つかぬ、風雅なおっとりした作風。鎌倉時代のもの。
「北野天神縁起」にもいろんなバージョンがあるのだと初めて知った。

秀吉を奉る豊国神社の有する、なかなか有名な「豊国祭礼図屏風」は、展示がえのため見ることは出来なかった。しかし神社は京都博物館のとなりである。となりへ行けばいつでも見られるだろう。

信長関係を言えば、建勲神社が江戸時代の信長公記を出品していたのは、なるほどであろう。建勲神社は信長を奉っているのだ。


国宝の神輿 鎌倉時代

異色なのは国宝の神輿。これは京都のものではなく、なぜか和歌山のなんとか八幡宮(読めない…)のものだが、お神輿さんでも古くなると国宝指定されるのだと、驚きの一品だった。
よく残っており、装飾は金細工で、非常に細かく繊細な、素晴らしい工芸品である。
金は古びて色が褪せているし、装飾もかなりくたびれているのだが、それゆえに、厳かで品格がある。神輿、恐るべし。

 


鶏鉾の有名な見送り 重要文化財 ベルギー製
鯉山の見送りもあった
有名な話だが、もとになったじゅうたんを切って仕立て直したもの

私たち京都の人間にとって嬉しいのは、祇園祭の鉾に飾る、見送りと呼ばれるタペストリーが展示されていたこと。改めて壁に飾られ展示されているのを見ると、あまりにも大きくて、もしかして間違いではないかと驚く。こんなに大きなものが鉾にかけてあるのだろうか。
こんな素晴らしい美術品が、平気で市中を練り歩いていたのかと思うと、感慨もひとしおだ。

祇園祭の見送りがなぜ展示されているか、それは祇園祭が八坂神社のお祭りだからだ。

 

神社に関係がないと思われたものに、「天橋立図」がある。

雪舟の国宝であり、博物館所有の絵だが、何故、神社とか神に関係のないこれがどさくさに紛れて展示されたのであろうか。謎である。ともあれ、有名な図であるので、見られたことは得点だった。
地名が書き込まれているので、ある意味、地図としての役割があったのかもしれないと思った。

***

 

神社によって性格があり、ここは学問に強いとか、交通安全に強いなどの違いがあるだろう。
それによって、神社の持つ宝物もいろいろ個性がある。

どういうわけか、太刀が多数展示されていた。
太刀を神社に奉納するような風習があったのだろうか。或いは、武士が謂れのある刀を神社に納めたのであろうか。そのような説明がされている刀もあった。
太刀が納められている神社は、そこが武士の氏神だからということなのであろうか。

そして神社といえば絵馬。
絵馬といっても、池大雅、円山応挙、狩野元信、そして長谷川等伯(伝)と、有名どころの絵師の描いた絵馬が展示されているのだった。絵馬といっても侮れないのである。本当かどうか分からないが。
さらに絵馬といっても一メートルくらいの大きさのものがあったから、ほとんど絵画である。板絵のような感じと言えばいいだろう。絵柄は馬などだ。

そのほか、江戸時代のおみくじの版木が展示されているのが楽しかった。
神社がこのような版木を自分のところで作り、出版していたのだろうか。大吉から凶まで、優雅な続け文字で書いてある(その版木で刷ったおみくじもちゃんと展示されていた)。

***

さて、私がいちばん、何といっても、最高に面白いと思ったのが、大将軍八神社の宝物であった。


天球儀 渋川春海作

これは、雑誌の写真をデジカメで撮影した。
出品作は撮影禁止だ

大将軍八神社という神社は、もともとは平安遷都の頃からある、桓武天皇の勅願により作られた、方位を守護する神社であり、陰陽道とも関わりのある神社である。
陰陽道とは、暦、天文を学ぶ学問であった。
それゆえに、神社には天文・暦学に関する資料が山ほどあるのだ。

その天文に関する資料が展示されていた(ほとんど数字ばかり)。数字の羅列の和綴じ本は、「皆川家天文暦道関係資料」と注意書きされている。
皆川家という家が、天文学を専門に司っていたのだろう。今なら、皆川天文学研究所、という感じなのだろうか。
抜群に面白いのが天球儀だった。
地球から見た空(星)を反転させて天球に表してある。珍品中の珍品だろう。この展示会のクライマックスであった。

大将軍八神社には、そのほか見事な神像が沢山あり、そのいくつかが展示されていたのだが、まさに宝の山のような神社だと思った。
私はのち、八神社にじかに行ったのだが、スペースは狭いがすごい神社だった。

 

***

 

最後に、京都ではこの夏ごろに、府下のある神社の神像が盗まれた、というニュースが新聞に出たことがあった。
宮津の日吉神社というところが所持していた平安時代の作といわれる男神坐像である。それが、盗まれた。
この、展覧会に出品予定であったが、開催日までに見つからず、今もまだ発見されないままである。
展覧会では、その像を出品する予定であった場所に、何者かの盗難によって出品されませんという断わり書きがされていた。
神を盗む、というのはいかなる精神の持ち主であろうか。


参考 神々の美の世界 出品目録

付録

正倉院裂復元模造の十年

同じ時期に新館の常設展で展示されていたのが、正倉院裂復元模造の十年というもの。

これは、皇后陛下が育てておられた小石丸という名前の蚕から、正倉院に保存されていた絹製品の復元をした、その絹織物を展示したものである。

テレビのニュースで見たことがある人もいるかもしれない。
皇后陛下美智子さまが、皇居の中で蚕を育てておられるそうだ。

それは特別な蚕で、もう皇居でしか存在していないという。正倉院にある絹は、その小石丸という蚕で作られたものだというので、美智子さまに頼み、その小石丸を使う許可を得たのだと言う。

真っ白なままの布に薄く浮き彫りされているものから、鮮やかに彩色を復元したものまで、絹の織物が贅沢に展示されていた。
一年に一枚(一種類?)、テーマを決めて復元するという作業だったようだ。

彩色には、天然の植物を使っている。
「延喜式」に記載されている染料を作って用いたということだ。茜、刈安、紫根など、雅な名前が並ぶ。

柄は鳳凰など、細かくそして、精緻なもの。

もとになった正倉院の絹そのものも飾られていたが、ボロボロの文字どおりの切れ端である。千年前のぼろきれ。
けれども、布が千年残っているということが、すごいことだ。普通なら、残らない。正倉院だから残ったのであろう。
ぼろきれだからこそ、異様な迫力があった。

正確に復元するために最も苦労をしたのが、今のような高度な技術がなく、織にところどころ破綻があるらしく、それを再現することだったという。とは言っても、千年も前に、このように絹が織られていたことには驚嘆するほかはない。

 

私には雅すぎてよく分からない世界だったが、凄い文化であることだけは分かった。

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