京の名工展
2019/7/12up(6/29)
2018年10月24日~28日 ・京都文化博物館
無料
京都の伝統工芸士による、内輪の発表会のような、この展覧会は、大変京都らしいので、
絶対に記録に残しておこうと思い、少しだけ書いておきます、、
毎年やっているので、必ずしも去年でも今年でなくても、いつでもいいのですが。
現在京都で仕事をしている伝統工芸士(京の名工)の作品が生々しく展示。
京都文化博物館で毎年無料で開催展示されている、「京の名工」という肩書を持った京都の伝統工芸職人の、
年に一回の知られざる発表会。
文化博物館の4階だったかな?そこで毎年ひっそりと開かれている。
客といえば、職人たちの家族や、関係者くらいだが、毎年行っては、感激して帰って来る。
現在、京都で活動している伝統工芸士たちの、技の粋が集められ、技術の高さや巧みさに驚かされる。
京の職人のすごみを、肌で感じる展覧会だ。
伝統工芸士とは、いわば政府から認められた称号で、仲間の推薦を経て、ちょっとした試験を受ければもらえる。
「京の名工」という名も称号で、伝統工芸士認定された者の中から、「京都府伝統産業優秀技術者」(これが正式名称)
として選ばれる。(はず…違っていたらごめんね)
政府が選ぶ「現代の名工」の京都版と言っていいだろう。
一年に一度の発表会のようなものだから、仕事に使う(売るもの)ではなく、
自分の創作意欲で、自分たちの持っている技術を使い、自由な発想で、アレンジされた作品が並ぶ。
いちばん多いのは、やはり染織(着物)で、それは伝統に則ったものだけれど、絵柄や図案が斬新なものが多い。
また、
京友禅で帯を制作したり(!)、
ひな人形の技術を用いて、平安時代の貴族女性(紫式部?)の和歌を作っているさまを再現したり、
仏具師が彫刻技術を用いて、驚くほど繊細な彫刻作品を作っていたり、時には仏像を制作していたり、
伝統工芸士たちが、この発表会のために、攻めに攻めた作品を出して来ていて、びっくりする。
とても書ききれない、素晴らしい工芸士たちの作品が展示されている。
とくにいつも感心するのは、「染色補正師」という仕事。
着物にしみがついた時、染み抜きをする加工職人。
その技術を生かして、染み抜きの技術で、一つの絵画?作品を作っている。
(説明がむつかしい(>_<))
(色を消してゆく)しみ抜きの技術で、それを逆転させて、見た目は普通の絵に見えるものを作っているのだ。
写真を撮りたかったが、技術が盗まれるのを防ぐため、とか言う理由で、作品の写真撮影は禁止されていた。
素晴らしいものばかりだったので、残念だ。
(以前は関係者たちが写真を撮っていたりして、許可されていたように思うのだが)
見に来ている人は、(制作者の)関係者くらいだが、京都の現在の匠の技の粋を多くの人に知ってもらえないのが
残念でならない。
名前と職業だけでも上げておく
綜絖(そうこう)という、むつかしい名称が出て来るが、機械で一種の織物を織る
人形師など(着付師や頭師などに分かれる)
補正師(型紙彫刻なんてのもある)
仏壇仏具師など
そういえば派手な数珠があった
ちなみに、最後の日の作品の撤収はゆるゆるで、作品の作者本人が、期限の4時前になると、
おもむろに風呂敷を出して(笑)、自分の作品を仕舞いだす。
まだ、一般客がいても(少ないが)、お構いなしに、作業着姿の伝工士がそれぞれ自分自身のものを持って帰るらしい。
(非売品なので、自分で保管するのだろう)
そして、風呂敷包みの作品を持って、一般客と同じエレベーターに乗る(笑)。
初めてそれを見た時は、あまりにもゆるくて、吃驚仰天した。
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ウチにあった工芸品
これは飾り扇ではない。
男物の扇子だ。
山(折り目)が60間(60個)ある。
普通の扇子は34間(多分)くらいだから、いかに山が多いかが分かる。
60間(けん)くらいの山を作ろうと思うと、山をものすごく細くしなければならず、
その上沢山必要だから、どうしても骨の部分が長くなる。
そして開くとほとんど半円の状態になる。
誰にでも出来る技術ではない。
だから制作者(父だけど笑)も3本くらいしか作れなかったと思う。
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扇子は平安時代に京都で始まった。
その時はひな人形みたいな骨だけで出来たもの。
白檀の扇子に今日でも受け継がれている。
俵屋宗達も扇子屋の息子として知られている。
室町に入ると一般的な工芸として、盛んになったのだ。
制作過程は極秘にされていたが、
(中国から制作方法を教えて欲しいと要請があったが、組合が断っていた)
が、中国から粗悪で安価な商品が開発されると、一気に衰退した。
残念なことである。