Exhibition Preview

the Beatles exhibition

20世紀最大のスーパーグループ
ビートルズ展
00/11/26

2000年9月29日〜10月29日
美術館「えき」KYOTO

今回、ネタがビートルズなので、
どうしても長くなるのをお許し下さい。

これは、展覧会が開催されているころなので、だいぶ前に書いたものなのですが、アップしそこねてタイミングがずれましたが、せっかく書いたものなので、アップしておこうと思います。

今年はビートルズの何周年かにあたるのか、ビートルズ関係の話も沢山聞きます。

新たに発売されたリミックスのベストアルバムが英国でNo.1になったとか、「ニュースステーション」でも特集を組んでいたようです。

なのでこの機会にアップしておくのも悪くないようです。

 

リアルタイムでビートルズの活躍を知らない若い世代の人たちは、ビートルズに対して、一体どのような思いを抱いているのだろうか、常々疑問に思うことだった。

テレビでは、コマーシャルでしょっちゅうビートルズの曲が流れている。でも、若い人たちは、それがビートルズの曲であるということすら知らないで聞き流しているだろう。

「オブラディ・オブラダ」は意外と一番多く使われている曲で、「愛こそはすべて」も、最近のコマーシャルで聞いた。

ビートルズの曲は、知らないうちに人々に浸透しているのだろう。

それはもはやスタンダードナンバーとして、バックミュージック代わりに使われている。

でもそれは悲しいことじゃない。
多くの人に演奏され、流され、聴かれるということは、それが多く支持されたということの証だと思うのだ。

ビートルズのしたことで最も重要なことは、私が思うには、自分たちが主体性を持って音楽と、それを取り巻く環境に対したこと、自分たちが主導権を持ったということだと思う。

それまでの音楽ビジネスは、歌手は御仕着せであり、プロダクションやレコード会社の言うなりだった。

というか、流行歌は消耗品であって、そこに思想や主張などないものだった。

歌手といっても、大衆の慰みであって、それ以上のものではなかった。

ミュージシャンという呼び名さえ、ましてやアーティストなどという呼称など、それまではなかったのだ。

ビートルズが初めて、流行歌に意味を持たせ、そして歌手でありながら、それだけではなく、若者の文化を主導し、思想を主張した。

アーティストと呼ばれるミュージシャンが自分の考えを持ち、それを主張し、表現する…それは今では当たり前のことのようになっているが、みなビートルズが始めたことだ。

それ以前には、そんなことをした歌手は全くいなかった。

その時代の象徴であるシンガーは、エルビスを始め、沢山いたかもしれない。
しかしポップミュージックを自己表現の手段として用いて成功したのは、間違いなく彼らが最初だ。

 

そして、さらに音楽的にどうこういうよりも、ビートルズは、音楽以前に、音楽よりも、音楽以外に私たち…(当時の若者、そして若者文化、以後の社会)に影響を与えたものも大きい。

だから、ビートルズを語る時、音楽よりも、それ以外のもろもろがまず語られるのは、間違いでないのだ。

♪♪

さて、この展示会は薀蓄や御託など関係なしに、いきなりビートルズの世界に直行できる、こじんまりとはしていても、意義のある展示品が数多くあった。

私は彼らのサインは別に欲しくないし、彼らが実際に手にしたり、使ったりしたものを欲しがる、という趣味はないのだが、それでも、*ミミおばさんの家のドア

*ジョンが子供の頃育ててもらったおばさん

が何故か展示されていたり、ジョンが子供の頃使った定規が展示されていたりすると、何でも残しておくものだと思い、半ば笑いつつ、しかしとても興味深いのだった。
汚い定規がこんな風に珍重されるなど、子供の頃のジョンは思ったことだろうか。

しかしそれよりも、噂や伝説で知られているビートルズのレコードの数々の本物がずらりと展示されているのは、一層興味深いことだった。

「ハードデイズナイト」というアルバムの各国版が並んでいたが、承知のように、ビートルズのレコードは、当時国によって装丁と収録曲がばらばらであった。*
タイトルさえばらばらである。

*日本は、のち(1970年頃)日本盤、アメリカ盤、イギリス盤の3種類が国内正式発売されていたので、世界で一番ややこしい国だった。

オリジナルはもちろんイギリス版である。
アメリカ盤というのは、ジャケットはイギリス盤と同じであるが、収録曲が本国より2、3曲少ない。
そして、そのように少しずつ、オリジナルからへつった曲を足して、新たに一枚のアルバムを作るのだ。
それが、アメリカのやり方であった。
だから、アメリカの方が、本国よりアルバムの枚数が多いのである。

昔、輸入レコード屋へ行って、アメリカ盤を掴まされたら、悲劇であった。
輸入盤を買ったと喜んでいたら、曲が少ない。
だからまた別のアルバムを買わなければ、未収録曲を聞くことは出来ない。
ジャケットデザインは同じだから、なかなか区別がつかないのだ。
ジャケットの微妙な仕様の違いなどで見分けるのが、通であった。
もちろん収録曲を見ればいいのであるが、いちいち覚えていない時は、そういう風に見分けるしかなかったのである。

閑話休題。

とにかく、各国版のバージョンは驚くべきものがある。

「ハードデイズナイト」というタイトルの映画は、日本では「ビートルズがやってくる、ヤア、ヤア、ヤア」という脳天気で、情けない邦題がつけられていたのだが、これは日本国内のみのタイトルだと思っていた。

ところが、アジア圏の多くは、タイトルにヤア、ヤア、ヤアがつくのだ。

首脳陣によってアジアはこのタイトルで行く、という決定がどこかでなされたのに違いない。

また、「サージェントペパーズ」というアルバムジャケットは、世界共通のものだと私は思っていた。

あのジャケットは、そうでないとビートルズ自身が納得しないだろう。

凝りに凝った、当時贅を尽くした複雑で芸術性の高い、ビートルズならではのジャケットデザインであり、あのジャケットであるからこそ、あのアルバムの価値があったのだった。

しかし韓国、台湾版はそんな芸術家ビートルズの思惑などどこ吹く風と、単にビートルズの顔写真(インナーに使われているもの)のアップなのだった。

不思議エリア、アジアの面目躍如たるとほほなジャケットに、私の腰がくだけた事は言うまでもない。

♪♪

アルバムで言えば、あの有名なブッチャーカバー、ちゃんと表の一枚を剥がしたバージョンまで展示されていたのはおかしかった。

不道徳として(確かに危ないジャケットだ)、発売直前にジャケットの上から一枚別の写真を貼って急遽発売されたという、逸話のあるレコードだ。

ホワイトアルバムは、当初、別のちゃんとしたデザインが考えられていたが、最終的にはあのようなものになった。

私は輸入版を買ったのだが、当時、ジャケットに刻印されたThe Beatlesの文字がやや斜めになっているのを、輸入の外国製だから、いい加減に紙を貼りつけたので、本当はちゃんと天地と平行になっているのだとばかり思いこんでいた。

しかし、もともと、どのレコードもあのようにやや斜めになっているのだった。

「レット・イット・ビー」は、誰でも知るとおり、もともとは「ゲットバック」というタイトルになる予定だった。

それと同時にジャケットもオリジナルは別デザインだったのが興味深い。

そのころのビートルズの複雑な事情を示すような事実だ。

それでいながら、(当時ジョンとポールは仲が悪い、と思われていたが)その当時にジョンがポールにイラスト入りの葉書を送ったりしているのを知ると、ああ、二人の絆はしっかりと結ばれていたんだなあと感動したりもする。

また「ヘイジュード」の手書きの草稿が展示されているのも感動的かもしれない。
そのヘイジュードの歌詞を書きなぐった紙切れの裏に、ジョージの「ホワイル・マイ・ギター」の歌詞が書かれてあるとなればなおさらだ。

♪♪

この展覧会のサブタイトルにあるとおり、ビートルズは今世紀最大のスーパーグループだったことは間違いない。

だが、より正確に言うなら、最大のフェノメノン(現象)だったのだと思う。

グループとか、歌手とか、そういう範囲でくくれない計り知れない影響を当時の、そして今に至る社会に影響を与えたからだ。

そう言う意味で、かつてジョン・レノンが発言した、

"我々はキリストよりも有名だ"

という暴言は、正しかったのだと思う。

暴言ではあるけれど、冷静な意見だったと言える。

10/23


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