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「佐竹本三十六歌仙絵」展

2019/12/27(11/29up)

 

 

特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美

2019年10月12日(土)~ 11月24日(日)


https://www.kyohaku.go.jp/jp/special/koremade/36kasen_2019.html


京都国立博物館
https://www.kyohaku.go.jp/jp/

 

公式サイト
https://kasen2019.jp/

京都国立博物館で開かれていた、「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展へ行って来た。







三十六歌仙ならその名称は聞いたことはあるが、「佐竹本」というのは全然知らなかった。

NHKが大々的に宣伝していたから(主催)、そんなにすごいのかと、近くだから京都国立博物館へ行こうと思ったのだ。

 


 

 

 

 

 

 



トマトカード提示で100円引き。




チケット


三十六歌仙とは、例の柿本人麻呂とか大伴家持、小野小町、在原業平など、
百人一首でもおなじみの歌聖を三十六人集めたもの。


もともとは歌人・藤原公任(ふじわらのきんとう)が「三十六人選」として選定したものという。
(パンフレットより)








西本願寺に伝わる美麗な国宝「三十六人歌集」は、断片的に見たことがあるが、
料紙を贅沢に使っていて有名だが、平安時代の、もっとも古い一例だろう。
(違っていたらごめんなさい)




(展示替えあり)
これが展示されていたのは、うれしかった。




鎌倉時代あたりになると、やまと絵が発達し、和歌を書家がただ写したものだけではなく、
やがて和歌に、その歌を詠んだ本人のイラスト(歌人たちの肖像)が描かれるようになったのだろう。

(これも勝手な見解です、しろうとの思い込みです。違っていたら指摘してください)



肖像込みの歌仙絵は煌びやかで美しいだけでなく、この歌人がこの歌を詠んだのか、
ということがよく分かるので、尊ばれたものだろう。



祇園祭の装飾にも使われているように、三十六歌仙絵は、歌聖の歌を味わうと同時に、
中世、絵巻としても鑑賞されたのだろう。





佐竹本とは、旧秋田藩主・佐竹侯爵家に伝わったことから「佐竹本」と呼ばれるという。
(以下公式サイトより纏め)

重要文化財指定。

 

 





大正8年、佐竹侯爵家からさる富豪へ売却されたが、経営難から再び売りに出され、高額なので買い手がつかず、
海外流出の恐れもあったため、当時の経済界の大物(益田某とか)がアイデアを出し、

絵巻を三十六人・一人ずつに分断し、財界人や古美術商に呼びかけ、一幅ずつ購入することを提案した。


購入の際は抽選で、くじを引いて、公平に割り当てることにしたという。



集まったのは、当時(今も)著名な、住友や野村證券、現在の北村美術館の前身など、
今でも名高い人たち(の先祖)が購入している。

その後、家宝としてそのまま家に伝えられたものもあれば、売りに出されたものもあるという。


様々な流転を経て、三十六歌仙のうち、三十一幅が、今回集められた。







始めにネタバレすると、小野小町は含まれていなかった。

女性の歌人はただひとりだった。(小大君という人)





京博の説明より


https://www.kyohaku.go.jp/jp/special/koremade/36kasen_2019.html#anchor_displayitems

「100年目の再会!――散り散りになった秘宝が最大規模で集結



「36人の優れた和歌の詠み人「歌仙」を描く、鎌倉時代の名品「佐竹本三十六歌仙絵」。

かつて2巻の絵巻物として伝わったこの作品は、大正8年(1919)に一歌仙ずつ分割され、
別々の所有者のもとに秘蔵されました。


2019年は、この「佐竹本三十六歌仙絵」が分割されてから、ちょうど100年を迎える年です。

本展では、これを期に、離ればなれとなった断簡を展覧会としては過去最大となる規模で集め、
皆様にご覧いただきます。

大正、昭和、平成の世を越え伝えられた、秘宝中の秘宝。


平安・鎌倉時代に花開いた王朝美術の名品とあわせて、「佐竹本三十六歌仙絵」と、
それを生んだ宮廷文化が放つ、最高の美の世界をご堪能ください。 」

 



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36人のうち31人が集う。

軸装もさまざまなら、各家によって、扱いも様々で、今も変わらず、家宝として名家に保存されているものから、
色んな理由で所在が変わって行ったものまで。

その運命に思いを馳せながら見るという、アイデアもなかなかのもの。


歌仙の絵を持つということが、財界人のステータスになっていたのかもしれない。




客層が、京都のハイソ(?)な人たちで、上品なお着物を召した婦人も多く、
(博物館へ行く時の正装?ユニクロ普段着の自分が気が引ける(>_<))

男性もみるからに上品な、教養豊かな人たちであることが、
絵の前で話す感想を(耳ダンボで笑)聞いていたら、よく分かった。



三十六歌仙の内で、柿本人麻呂は別格で、彼のために一部屋が設えられていた。







人麻呂の肖像といえばこれ、という決定版も展示され、この部分は、人麻呂像の変遷が楽しめた。



歌仙たちの肖像は、豪華な軸装のものもあり、家によっての扱いの違いも面白いが、
絵は伝統的なやまと絵を踏襲していると思えた。




(坂上是則)


絵巻のままならば絵巻の見方として、一望出来ないものなので、こうして軸装されたことで、
歌仙絵を俯瞰出来ることは、かえって僥倖に恵まれたのかもしれない。




三十六歌仙にまつわるそのほかの展示もされていたが、忘れた(>_<)


ただ、江戸時代になると、三十六歌仙という題材は独立し、豪華になってゆき、
貼り混ぜ屏風として、煌びやかに装飾され、当時の有識者の目を楽しませたのだろう。


自分は貼り混ぜ屏風が好きなので、豪華な草花図を背景に、
和歌の色紙と歌仙絵の色紙が貼り付けてある屏風は、持って帰って家に置いておきたくなるのだった。



歌仙のみを描いたりすることも流行った。


最後の最後に、鈴木基一の「三十六歌仙図屏風」が展示されていたが、
すでにマニエリスムか、ペダンチズムに堕していることが見て取れた。


それはそれで、三十六歌仙絵の発展形(或いは衰退)と捉え、それなりに楽しめばよいのだと思う。


相変わらず生意気ですみませんm(__)m








木々も色づいていて、美しい博物館の建物を見ながら、帰路についた。

 

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