Book Maniacs

角川文庫

ランボオの手紙

アルチュール・ランボオ

祖川孝訳

角川文庫

昭和47年

2007/6/16

えらい古い文庫本どすなー。皆さんご存知ないと思いますが、むかし角川文庫はこのように、透明セロハン、下半身おびという具合に、岩波文庫と同じ体裁で作られていたのですな(新潮文庫もだ)。

別表紙なんてありゃしません。いまどきセロハンなんて単語も知らない人もいるでしょう。

機会があれば、この昔なつかしい文庫本の体裁について語りたいものだが、そんなことはどうでもいい。

 

「ランボオの手紙」。これはあの有名なフランスの詩聖、アルチュール・ランボオの手紙を集めたもの。
青春時代の私のバイブルだったと思いねえ。

ランボー(以下、慣れているこの表記で行く)は、ポール・ヴェルレーヌとのホモ関係でも有名だ。

ランボーの手紙が重要なのは二つの点からで、ひとつはあの「見者の手紙」、故郷の先生に宛てた手紙で、ヴォワイヤン覚醒について語っている、歴史上・文学史上有名すぎる手紙だ(横線を引いて読み、暗記したものだ)。

そしてもうひとつがヴェルレーヌ宛の私信。

こちらもこれで大変で、二人のタダれた関係が暴露されているという、ワイドショー的覗き見気分が十分満喫出来る内容になっている。

青春時代、私はこのヴェルレーヌとランボーの手紙のやり取りにどきどきしたものだ。

今のようにどぎついBL小説などなかった時代。二人の手紙に想像力をうんと羽ばたかせ、ときめいていたのだ。キュン。

 

この本のすごい所は、ブリュッセル事件の詳細をドキュメントしている点で、ランボーの手紙だけでなく、そのなりゆきも顛末も丁寧に追っているのだ。

その挙句に編者が「やっぱりランボオはヴェルレエヌに帰って来て貰いたかった」などという感想を挟んでいる。

良く分からないのは、この本を編集したのがフランスの出版社なのか日本語の訳者なのかだが、おそらくフランスで出版されたものをそのまま訳してあるのだろう。
あとがきでジャン・マリイ・キャレエ著、と書いてある。

 

さらにこの本がすごいのは、ヴェルレーヌが描いたランボーのイラスト(例のあしたのジョーみたいなランボー)や、ランボーが書いた手紙の直筆の写しまでが挿入されていることで、サービス満点で、文庫とは言えやおい感涙の痒い所に手の届く編集だったのだ。

ハイライトはむろん、ランボーの手紙の
「そうだ、悪かったのは僕だ。/ああ!君は僕を忘れやしないだろう。/いや、君は僕を忘れるなんてことは出来ない」

まあこういう愁嘆場での生々しいやり取りの数々。

詩聖として崇められているランボーだが、金づるのヴェルレーヌに去られては生活が成り立たないから、なんとか自分のもとに戻らせたい。そのために猫なで声でなだめたりすかしたり。

この魂胆が見え見えの、わざとらしい手紙の文言にランボーの俗物ぶりが赤裸々に現れていて、ランボーといえどただの小ずるい功利的な一般人と何ら変わらない。

そのことに安心したり、なーんだとがっかりしたりするあたりにこの本の醍醐味があるのだった。

でも、初めて読むととにかくドキドキする。ブリュッセルの銃撃事件が第三者の証言も含めて詳細に語られていて、それに織り込まれるように手紙が出て来るのだから。

 

なお、旧字・旧かなの表記であった。だから、「帰つて来てくれ給へ」(「帰」と「来」は旧字)「意地を張つてゐただけのことだ」というような表記です。
これを読みこなす所にも、愉悦があったのですよ。

 

映画「太陽と月に背いて」

TOP | HOME

  inserted by FC2 system