角川文庫
増補改訂 少年愛の美学 昭和48年 稲垣足穂 角川書店 05/8/11 |
少年愛をテーマにした、エロティシズム研究の古典的名著である。
澁澤龍彦が、「エロスの絶対的一元論」と呼んだ、タルホの渾身の労作でもある。
それはセックスという、生臭い人間の営みを抽象化し、結晶化し、天上の形而上学へと昇華させた日本で唯一の試みであり、類のない文学的成果である。こんな風に大げさな言葉で賛美するのも、このような形の作品を私はこれを読むまで、そして読んだあとも、ほかにまったく知らないからだ。
タルホは無邪気の人である。
その基本の姿勢は、メルヘン的な「一千一秒物語」のオブジェの羅列と、まったく変わらない。
「稚児乃草紙」、「醒酔笑」、「松帆浦物語」「雨月物語」狂言「老武者」、萩原朔太郎、森鴎外、村山槐多、大手拓次、トマス・マン、プラーテン伯爵、アンドレ・ジイド、ハドリアヌス帝、ジル・ド・レ、フリッツ・ハールマン…etc、etc。
膨大なテキストを掻き集めて提示しながら、そこにあるのはそれらと戯れ、文献の中で遊んでいるタルホの嬉々とした姿にほかならない。
お尻、ヒップ、肛門、臀部、半ズボン、美少年、厠、孔、おケツ……。書の殆どがこれらのキーワードで埋め尽され、「お尻はなぜ笑いを誘うのか」という命題を突き詰めてゆく。
「このエロティシズム論にないものはセックスの生ぐささだけである」。
タルホはカラカラと乾いたコンペイトウのような感性で、少年愛、…「お尻への愛」を、対象化するのである。
君と僕とは硯の墨よ
すればするほど濃ゆくなる
という都都逸(?)が紹介されていたと思うが、こういう粋さがタルホの真骨頂だと思う。
もうひとつ、
いとし若衆と小鼓は
締めつゆるめつ調べつつ
寝入らぬ前(さき)に
なるかならぬか
なるかならぬか
はァ、粋だね。
というわけで、タルホの永遠の名著は、今も日本の上空高くをプロペラ機で飛び続けている。
私の持っているテキストは、角川文庫版で、とっくに絶版になっているもの。
現在は、河出文庫で確か入手可能。だが、この角川版の銀の表紙に若衆の前髪が印刷されたバージョンの、何と粋でエロティックなことよ。表紙がタルホを表現して余りあると思うので、あえてこちらを取り上げた。ちなみに値段が240円と。まだ角川文庫もひもの栞を挟んでいたころである。