新潮文庫
オトナ語の謎。 2005年 糸井重里・監修 ほぼ日刊イトイ新聞・編 新潮社 05/5/19 |
この手のサブカル本は、時間つぶしのしょうもない本だから立ち読みで十分、と最近は控えているのだが、それというのもハズレが多くて、かなり期待して買ったのに、放り出したくなるような内容のものにばかり当たっていたからでもある。
まあ、サブカル本に期待する方が悪いと言えば言えるのだが。ああいうのは紙の無駄だし、エコロジー精神に反する。暇つぶしや、しょうもなさをウリにするこの手の商法は、拒否するべきだと気がついたこともある。
この本も、もともと買うつもりはなく、立ち読みでぱらぱらとページをめくっていたのだが、帯の、「コミコミで580円。」というキャッチにつられて思わず買ってしまった。
さすがだ。そういうところが、抜群にうまい。買わずにはいられなくなるのだ。
私は、糸井重里という人物は、何だかそんなに若くもないのにうすっぺらで軽そうな感じがして、あまり好きな人物ではないのだが、ただ、この本はさすがに腐ってもイトイというのか、面白い。まず、面白い。爆笑であった。
笑いすぎて、涙が出て来たのは久しぶりだ。そこらへんのサブカル本とは一線を画す、というか同等に語るのは失礼であるだろう、抜群のセンスと面白さを備えているのであった。
学生が、学校を卒業し、社会に巣立つ。そして、カイシャというものに足を踏み込んだ途端に、何の前触れもなくいきなり浴びせられるオトナ語。
お世話になっております。よろしくお願いいたします。手前どものニンゲンが。
将来的には視野に入れつつ、暫定的に。酒の上の話ですから、別途きんきんに。
カツカツでバタバタしてますんで、粛々と、機会がありましたら…冷静に考えてみればヘンテコな言葉かもしれないのに、オトナは忙しすぎてもはやそれに気がつかない。
オトナはオフィスでさまざまな独自の言葉を編み出し、それを自由自在に駆使して働く。誰にでも、思い当たるよね。電話がかかって来て、「失礼ですが…」と、最後の言葉を濁す。なぜかみなまで言わない。
こういうことは働いていると、いつの間にか自分でも使ってしまってる。いつの間にか、私もオトナ語をしゃべってたんだ!
オトナはとにかくへりくだる。何をおっしゃいますやら。お時間を頂戴しまして、その節はどうも。ご挨拶だけでも。いやいやいやいや。でですね。…
オトナはカドが立つことをきらう。とんでもございません。ついでの時で結構ですから、いい悪いは別にして、いずれにしましても、基本オーケーという方向で、アレしていただければなんなんですが…
オトナはいろんなものを流す。そして回す。それだけでなく、押える。やっつける。抱える。すり合わせる。
それだけでなく、オトナはうまいことやったり、下駄をはかせたり、風呂敷を広げたり、花火を上げたり、はしごを外したりする。そして、オトナはゴメンナサイしたり、お互いハッピーになったり、オトナになったりもするのだ。
オトナは大変だ。オトナはシゴトで忙殺される自分の立場を嘆き、それを自虐的に笑いものにすることで、そこに慰みを見出した。
日本語の曖昧な表現を使うことによって、自己の立場をソフィスティケートさせる方法を発見した。
それがこの、独特のオフィス隠語でありオトナ語なのであろう。そこには、そこはかとないユーモアがあり、悲哀があり、人生の機敏がある。それはもはや、ひとつの文化と言ってよいだろう。オフィス語文化、オトナ語文化。
オトナであることは、文化を担うことなのだ。さああなたも私もオトナ語を使ってオトナの仲間入りをしよう。案外楽しいかもよ。お互いハッピーということで。