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ふくろうの本 図説シリーズ

百鬼夜行絵巻をよむ

内藤憲吾・編

1999年

河出書房新社

06/2/7

京の都、一条通で付喪神(つくもがみ)たちが行列したという伝説をもとに描かれたのが名高い百鬼夜行絵巻。

絵巻にはいろいろな異本やバリエーションがあり、それらを集めて俯瞰したのが、この本である。

付喪神とは、道具が百年を経ると化けて魂を持ち、人をたぶらかすのだという。それを付喪神と言ったと。

洛中洛外から人々が要らなくなった道具を道端に打ち捨てた。
その道具たちが寄り集まって、捨てられた恨みを話し合い、神に祈って魂を持つ付喪神にしてもらった。
そこで付喪神たちは、夜な夜な一条通に出て人々を驚かしたり惑わしたりした。

百鬼夜行絵巻のオリジナルというか、原本であるらしい「付喪神絵巻」では、始め、打ち捨てられたただの道具が寄り集まって輪になり、相談している光景からはじまって、魂をもらい、化け物になったあとの姿が描かれている。

 

この本は、ビジュアル本で、ムック形式の本であるけれども、百鬼夜行(絵巻)の成り立ち、そのいわれ、異本、原本と、およそ「百鬼夜行絵巻」を理解するためのものが網羅されていて、この本だけあれば、百鬼夜行についてはほぼ勉強が完了するのではないか、と思えるくらいのすぐれ本である。

執筆陣が豪華で、澁澤龍彦や、花田清輝が書いている。また、「付喪神記」全文(多分)が現代語訳されて掲載されているので、付喪神についてを、その記術で知ることが出来ることもこの本の素晴らしいところで、最大のメリットである。

 

付喪神というのは、まあ言わばもったいないお化けみたいなものだろう。
が、百年を経て魂を持つ、という考えに、まず、日常道具を昔の人は百年使っていた(らしい)、ということからして驚きだし、また昔の人も、要らなくなったお道具を捨てるという行為に、どこかもったいないという概念を抱き、そして、打ち捨てられてしまう道具に対して、ある種の済まないという思い、後ろめたい罪悪感のようなものを抱いていたのではないだろうか。
だからこそ、道具が化けて人間を襲う、という考えを持ったのだと思うのだ。

しかしそんなことよりも、「付喪神絵巻」に登場する、化け物になる前のお道具たちの絵が可愛くて、キュートで、面白くて、なんとも言えない愛らしさがある。モノクロなのが本当に残念だ。

澁澤龍彦が、こうした「モノ」に対する人間の感覚をアニミズム、及びフェティッシュとして分析しているが、これはさすがにとても鋭く、深い指摘だ。

あまりにも年を経たものは、妖怪になってしまうのだ。道具でも人間でも。

人間という生き物は、森羅万象に魂があり、神が宿ると、古来から考えて来た。少なくとも日本人には、そうした考えがあった。

木や川や山は生きており、神が宿っている。
それであるなら、人が作ったお道具であってもやがて魂がふき込まれ、生き始めても不思議ではない。

日本人には、こうした、人間以外の魂を持つものに対して、恐れ、敬う気持ちが昔からあった。
それがこのような、アニミズムやフェティッシュに繋がったのだろう。

澁澤は、三島由紀夫の「金閣寺」が、「付喪神記」を引用していることを引いて、日本人のフェティッシュを指摘する。
相変わらず澁澤の文は快調で小気味よく、核心をずばりと突いている。

 

この本で不満なのが、百鬼夜行絵巻の中で最も有名な(らしい)土佐光信による真珠庵本というのが、どこの所蔵か記していないところ。
真珠庵ってどこよ。

澁澤の記述で大徳寺真珠庵ということが分かったが、素人には分からないのだから、もう少し親切な解説が欲しかったところだ。

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