Book Maniacs

中公新書

マグダラのマリア

岡田温司

2005年

中央公論社

06/5/8

私は、正直に言って聖書(新約)に出て来るキャラクターの中で、マグダラのマリアがいちばんきらいである。

一介の女(噂では娼婦)に過ぎないくせに、イエスの周りをうろうろして、イエスの復活を目撃したりして生意気である。お前なんざあイエスの横にいるのは百年早いんだよ。と、要するに嫉妬が入っている。

しかし、冷静に考えてみると、新約聖書、福音書を歴史書として読んでも、殆ど正確性はないのだ。
大体、よくイエスの12弟子、というが、イエスの弟子が12人いた、というのにしてからがフィクションであり、嘘であり、嘘と言って悪ければ、後世の人の考えた作りごとである。

だから、マグダラのマリア自体、そういう女がいたという実在は確められていないのだ。

イエスの回りに女はいただろう。男がいたのだから女もいただろう。男も女も沢山いたと思われる。

イエスに従い、イエスについて回った者たちが12人以上いて、彼らは一種のコミュニティのようなものを作っていただろうと言われる。
定住せず、洞穴などに住みながら各地を説教して回っていれば、おのずと彼らの一団が雑居のコミュニティのようなものになるのは自然なことだろう。

ただ、それらの男女が何者か、すべては伝説にしか過ぎないから、通常の歴史解釈では誰それがいた、という実在は証明出来ない。

イエス本人についてさえも、イエスについて書かれた4つの福音書が、イエスという人物の伝承をもとに、イエスが生きた時代よりも1世紀ほど遅れて書かれたものであるから、伝承が殆どであり、福音書に書かれているイエスの行動を事実だと証明できるものは殆どない。
(イエスを信じた者は文盲の人が殆どであり、伝承も口伝でしかなかった)

ただ、イエスと呼ばれた人物がおり、各地を説教して回って処刑された、ということだけが歴史の事実に過ぎないという。

その人物を信奉する人々によってさまざまな伝説が生まれ、伝承されてゆき、それが福音書となった。

だから、マグダラのマリアもそのようにして、後世(福音書が形成された以後も、おもにヨーロッパにおいて)語り継がれたことが伝承として残り、伝説としてヨーロッパ人に伝わっている。

そのヨーロッパにおけるマグダラのマリアの伝承を、図像と共に追いかけたのがこの本である。

 

私はキリスト教プロテスタントの教育を受けたので、もともと図像にはまったく知識がなく、マグダラのマリアがヨーロッパ世界でこれほどの展開をしていることを知らなかったので、そういう意味ではとてもためになったし、驚くことも多かった。

このような新書のお手軽本でマグダラのマリアのみを扱っている本は少ないだろうから、とても貴重だと思う。

 

キリスト教は、ユダヤ教の中から誕生したので、本来ならユダヤ人だけが信じる宗教であった。

けれども、イエスの死後、ローマへ出て、受難に遭いなどしながらイエスの弟子や、イエスの教えを信じた者たちがローマで布教に努めたため、やがてユダヤ教とは別の、キリスト教としてローマに広まってゆく。
そして、ローマ帝国が、キリスト教弾圧を経て国教と認めた時から、キリスト教は新たな展開をしてゆき、ローマ帝国没落後も、ヨーロッパ諸国の中で根付いてゆく。

マグダラのマリア信仰は、そうした、キリスト教がヨーロッパの各地に広まってゆく過程で生まれた聖人信仰のひとつだと思う。

初期キリスト教では人格すら認められていなかったマグダラのマリアが、ヨーロッパの寺院、とくに修道院などで、女性の間で信仰されてゆく。

日本でも仏教が聖徳太子によってメジャーになってから、ひとつの教えがさまざまな広がりをもち、真言宗、天台宗、曹洞宗、浄土宗、日蓮宗というふうに、教えを開いた上人ごとにどんどん新しい宗派が生まれ、その過程でお釈迦様だけでなく、さまざまな人(?)を信仰し、さまざまな仏像が刻まれていった、時には日本の土着の神と融合し、垂迹神すら生んで行った流れとよく似ていると思う。

 

時が経つにつれて、マグダラのマリアは、もともと誰なのか、実在なのかどうかも分からない人物であることなどどうでもよくなり、ヨーロッパ修道院ではひとつの人格を持つまでに至る。

そして、彼女がイエスの死後、船でフランスまで来て、その山奥で修行し、かつて娼婦であった自分を自責し、イエスの髑髏を前に(イエスの亡骸から骸骨をマリアが持ち去ったらしい)瞑想にふける、といった「伝説」まで付与されてゆく。

もちろん、それはフランスの山奥の修道院で修行する罪深い女たち(もと娼婦たちだった)の信仰をつなぎとめるために加えられた伝説であろう。

空海が刻んだ仏の像がこの寺にあるとか、空海の掘った井戸水がここだというような伝説よりももっと不確かな伝説に過ぎないが、それが当時、ヨーロッパ各地の修道院で、女たちが必要としたマグダラのマリア像だったのだろう。

 

プロテスタントという宗派は、偶像を用いないので、こうした過剰な聖人信仰にはとても違和感を持ってしまう。

そしてプロテスタントは、中世以降のキリスト教の歴史などすっ飛ばして、まっすぐにイエスの時代と向き合う。

イエスはその時何を思ったか、弟子たちはその時どうしたか、だからこういう教えが生まれたのだ、こういう信仰が誕生したのだ、と学んだ。

もっともプリミティブで原初的な信仰以外の、中世になってから生まれて来た信仰には、だから何となく、カトリックで認められている教義でさえ、異端の臭いがつきまとい、いかがわしさを感じてしまうのだ。私だけかもしれないが。

*トマス・アクィナスの「神学大全」などには、本能的に違うだろ、と思ってしまう。
キリスト教ってそんなんか?そんなにあれこれ決まりごとを作らないといけないのか?と、思わずトマスに突っ込みたくなるのだ。私だけかもしれないが(読んでいないが。だから「本能的」に)。

 

中世の、信じる以外に何の手だてもなかった暗い時代に、崇める像がなければやりきれなかっただろうというような想像は、つく。
信仰を強固なものとするために、祈るための像が必要とされたのは、人間の業として自然なことだったのだろう。

あまりの過剰な偶像信仰がはびこったので、その反省として宗教改革が生まれたことも、教科書で習った。

 

だが本来なら私は、マグダラのマリア信仰に代表されるような過剰な偶像崇拝は気持ち悪くて耐えられないのだが(聖母マリア信仰もしかり)、西洋美術に傾倒して、それにのめり込むと、必ずこうした聖人の偶像は現れる。
それらが美術的に価値のあるものである場合が多く、そのようにして残された「偶像」が美術作品として語られる場合が多いからだ。

いや西洋の美術の殆どが、その私の気持ち悪いと思う「偶像」であるはずなのだ。

西洋の美術を素晴らしいと感じ、それに心酔すればするほど、その美術品の描く対象が、プロテスタントでは受け入れ難い偶像だという矛盾。

ただ私は、それら作品を、「偶像」や、「イコン」としてではなく、絵画作品として見て来た。その限りでは矛盾することなく、これまで美術品を享受出来た。
イエスに関する膨大な宗教画などにあまり矛盾を感じたことはない。

が、たとえば、このマグダラのマリアや、或いはユディット、聖カタリナの殉教、あたりの作品になると、どことなく居心地が悪くなって来る。
聖書の外典、聖人信仰、にまで来てしまうと、「違うのではないか」と、ためらいが入って来るのだ。

レンブラントさえ、外典の「スザンナの水浴」や「トビアスと天使」などを描いている。
いいのか?そんなものを描いて。レンブラントのくせに。などと思う。

聖フランチェスコならまだ、分かる。だが、聖セバスティアヌスはまずいだろう。
まあ、そういう感じなのだ。

私がマグダラのマリアを扱った「作品」に居心地の悪さを感じるのは、そういうわけでもあるのだ。


私が外典と聖典の区別がつくのは、外典をテーマにして描かれている画題に、聞いたことのない名前が使われているからだ。
たとえば、トビアスだの、スザンナだのは、聖書(新約、旧約とも)に出て来ない。
学校で外典など習わないから、知らないのは当たり前だ。

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