文春新書
漢字と日本人 高島俊男 文藝春秋 2005年 05/9/30 |
漢字が好きかと問われれば好きだと答えるだろう。
何故かは、今まで具体的には自分でもはっきりとは分からなかった。だが、好きだと言える。
よく考えたら、それは、漢字が面白いからだと思う。
漢字は覚えるのも、読むのも、書くのもむつかしい。
けれども、漢字の由来や、意味、成り立ちなどは、知れば知るほど面白い。よく例に出される、日や月という漢字、そして明るいという漢字。
漢字は、ひとつの字にそれぞれ意味があり、時には、そのものの形さえ表わしている。そういう意味で、このような面白い字をなくして欲しくないなあと思うのだ。
この本の著者は、怒っている。
読んでいると、恐くて恐くて、何をそんなに怒っているのですかと問いたくなるくらいだ。
とても珍しい本だ。
漢字は、言うまでもなく中国で作られた。
日本人は、自分たちが発する言葉を紙に書こうと思った時に、自分たちの国の周辺で、最も発達していて、高度な文明を持つ中国の字を使うことにした。
中国は当時のアジア周辺で、だんとつの文明を自他ともに誇り、周辺国に憧れられていたからだ。もし、日本の隣にあったのが英国で、または中国が英語を使っていたならば、我々の国は英語を文字としただろう。
隣りがたまたま中国だったから、たまたま文字に漢字を使うようになったのだ。…というようなことから、この本は書き進められている。
だから、と著者は言う。
もともと漢字は日本の文字ではなかったから、日本の言葉を漢字で記す時に、いろいろ不都合が起こった。
日本語を無理矢理漢字で書くこと自体が不自然であり、無理があったのだと。だけど、それはもう千年以上前のことだし、そんなことを今ここで怒っても、と私はちょっと腰が引けた。
漢字が、いかに日本人には馴染まず、日本人がそれを受け入れるのに苦労したか、それがいかに日本人には不向きな文字であるかを主張している。
読んでいるうち、日本人にとって、いかに漢字が駄目な文字であるかと思えて来る。
だから著者はもう漢字を使うのは止めろ、もっと日本人に馴染む文字を使えと言っているのかといえば、そうではない。
千年にわたって使って来た文字を今更止めるわけにはいかない。
いかに借りものの文字であるとはいえ、そこには日本なりに千年分の文化が蓄積されて来たからだ。
で、「仕方がないから」これからも漢字を使わなくてはしょうがないと言うのである。
はらほろひれはれ。
この人は漢字が憎いのではないか?
結論が「仕方がない」というのに大変驚いた。
これからも漢字を使わなければならないことが大変無念そうである。
正確に言えば、これからも漢字を使わなくてはならない、という結論に達したことが、無念でならないみたいなのだ。
漢字が憎い。
出来るならばこんな憎い文字を使いたくはない。けれども、敵には実力がある。相当なものだ。太刀打ち出来ない。
漢字の代わりに、それ以上によい文字が思いつかない。
しようがない。憎いけれど、もう漢字がなくては生きていけない。漢字なしでは何も出来ない身体になってしまった。
…何だか、この本を読んでいたら、この著者の主張がこのようにしか思えなくなって来た。
漢字は悪魔か性悪女か。
そういう意味で珍しい本である。
私はこのように読んだが、人によっては違うかもしれない。