Book Maniacs

そこそこの文春文庫

新解さんの謎

赤瀬川原平

1999年(文庫版)

04/4/3

赤瀬川原平という人には、わりと好意を持っていた。
前衛芸術家の時(?)の千円札騒動から、トマソン発見、路上観察学などにも、ものすごく興味を持っていた。どころか、大変面白くそれらを享受した。
また、別の名で文学も書いていたが、それも好みに合っていた。
文学というものには、私は既にもうけっ、という態度だったが、赤瀬川氏の文章は、物に対するこだわり、または好奇心が硬質、というか、子供のような目線であって、邪気がないのだ。だから好きだった。
この新解さんの発見も、老人力の発見者らしい赤瀬川氏ならではの痛快な作業である。

新解さんの第一発見者はSM嬢だということだが、それが赤瀬川原平によって洗練され、よりいっそう面白味を増している。
赤瀬川氏は、こういうことを無条件に楽しむ達人なのだ。

 

新解さんを、私は新明解と呼んでいる。略して新解さんとは何となく言いたくないのだが、ここでは両氏に準ずる。

新解さんは、まず、「恋愛」で有名になった。4版の「恋愛」の項。

特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒にいたい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。

と、「恋愛」に関してこんな国語辞典にあるまじき説明がなされているのだ。
特に、「まれにかなえられて歓喜する状態」というのは、ただごとではない。
こんな説明は、もはや辞典ではない、文学だ。
「常にはかなえられない」というのも、すごい。
恋愛というのは、常にはかなえられないものが、恋愛なのだ。新解さんは、そうだと主張するのである。そこが、新解さんのすごさだ。

赤瀬川氏は、すかさず「性交」の項も、引く。
「性交」の4版。

成熟した男女が時を置いて合体する本能的行為。

時を置いて、という一文に赤瀬川氏は感動する。確かに、この「時を置いて」に、新解さんという、辞書編纂者の意思を感じる。新解さんの素晴らしさは、こういうところにある。

赤瀬川原平は、路上にトマソンを発見し、そこに喜びを見出すのとまったく同じに、新解さんの独特の語句の説明を発見しては喜ぶ。

新解さんの独特さを発見していたのは、赤瀬川氏だけではないだろう。この辞書を普通に辞書として使っていた多くの人々も同じように、どこかヘンだ、と思いながら、新解さんの存在に気づいていたに違いない。
けれども、それを「辞書にあるまじき」などと怒らず、子供のように無邪気にそれを楽しみ、新解さんという一人のキャラクターを作り上げてしまった所が、赤瀬川原平の底力ではないか。

 

私は学生のころは、新解さんを使っていなかった。姉からのお下がりの、あまり分厚くないものを使っていて、何という出版社だったかも覚えていない。
広辞苑も、買ったのはずっとあとになってからで、私の持っているのは第4版だ。私は、辞書にはあまり恵まれていなかった。あまり、使ったことがなかったかもしれない。

新解さんには、この赤瀬川氏の本を読むまで、会ったことがなかった。しかし、これを読んでから新解さんがどうしても欲しくなり、姪が持っているというので、姪の部屋に密かに忍び込んで、机の上を確めて見た。
そうしたら、新解さんが置いてあったので、黙って持ち帰って来た。
後で了解を得たが…。

そのようにして、今では私の手元に新解さん第4版がある。これを今は普通の辞書として使っているのだが、もちろん普通の辞書としても十分に使える(当たり前だ!)。

でもちょっと物足りなかったりもする。
新解さんで言葉を引いて、当たり前のことが書いてあったら、
「おいおい、それだけ? もうちょっと、受けること書いてよ」
などと、つい考えてしまうのだ。
新解さんには、漫才師でもないのにボケを期待してしまう。
これは「新解さんの謎」の功罪ではないだろうか。

 

(註、この本「新解さんの謎」は、新解さんについて書かれているのは本の中の約半分で、その他関係のない文章が約半分ある。)

これが、姪からパチって来たウチの新明解辞典第4版、新解さん。
表紙のよれ具合が何とも気に入っています。
お世話になってます♪

なお、持っている方は、最終頁「ん」の項を引こう。
「んとす」の説明を読んで、感動して下さい。。

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