Book Maniacs

泉社 新書y

 

京都人だけが知っている

入江敦彦

洋泉社

2004年 

05/6/27

入江敦彦という人は、西陣の髪結さんの息子として生まれた京都人だという。家は3代ほど続いているというから、私のような似非ではなく、本物の京都人だと言って良いだろう。

西陣は、上京区という京都のアップタウンにあるものの、気質はなぜかもろ下町、私は京都の中の大阪、という認識を持つがどうだろう。
京都にあってどういうわけか西陣だけはざっくばらん、キップが良くて本音の町。もちろん西陣織の産地で、腕の確かな職人が住む、そういう職人気質があるのだろう。

 

この本は京都ブームの火付け役となった、とキャッチで自慢している。けれどもこの本が最も売れたのが地元京都だというのは、京都人とは自虐的な体質なのか。いやいや、単に自意識が並み以上ということだろう。

初め読んだ時、私はかなり驚いた。

もしかしてこれを読んだ「よそさん」に、京都人の誰もがこんなにひねくれこびた、捻じ曲がった、クロソイド螺旋のような考え方をしているのか、と思われたらどうしよう。いくら京都人でもここまでねじくれた、曲がりくねった根性の人はいるまい、などと。

よーく読んだら、これは単なる京都案内なのだ。

あれこれものすごくひねくれたことを書き続けているなと思っていたら、それがいつの間にか、ここがよそさんの知らない京都の桜だの、喫茶店だの、おばんざいだの、という話になる。
ありゃ…それがオチかよ。
さんざん枕をふっておいて、ただ単にここが美味しい、ここが見どころ、って。それ言うために華麗な京都人論かい。

と、愚痴をこぼしたいほど、「京都は常に…」「京都はこれこれと言われて来たが…」「実は皆の思い描く京都のイメージは」式のうんちく満載で、やっぱりこの人も京都のことをいろいろあれこれ言いたいうんちくおじさんに過ぎないのだと思う(まあ私も含めてだけど)。

確かに、鴨川の分岐点から北の河川敷は同性愛者の発展場なのだが…でもそういう場所は京都以外の都市のどこにでもあるだろう。それが京都では賀茂川べり、というのがらしい、のだろうか。

 

で、記述にちょっとおかしなところもある。

京都の女の人のセンスは悪い。なぜなら、彼女らは着物を着るセンスで洋服を着るからで、と書いているあたり。

「京都の女の人」って、一体どこの誰のことをつかまえてそう総称しているのだろう。彼の中ではきっと、京都の中の西陣の、多分おばさん。もっと限定すると、多分自分の母親を想定しているのだろう。
それを京都の女の人、という一般名詞でひとくくりしてしまっているのだから、ちょっとおかしい。
きょう日の若い女の子は、いくら京都に生まれても着物なんて着たことがない、という人の方が正直多いはず。
和服を着るセンスで洋服を着ているはずがない。

まあ、誰かみたいに京都ではお饅頭屋さんと和菓子屋さんは別の店として、分けて考えているのです、何ていうトホホなうんちくがないのは救いなのだが。
(そんなこと、子供のころから意識したことがない)

あと、著者が西陣出身ということで、西陣が京都の中心だ、みたいに暗に思っている点も違和感がある。彼はそれを意識していないし、自分ではそういう風にはまるで思っていないと思う。けれども読んでいたら、西陣が中心というか、記述が西陣界隈に偏っているのだ。

私などは、京都の中心は烏丸から河原町の間、四条から三条が中心、と思い込んでいるだけに、少し抵抗がある。

 

けれどもこの本、インパクトがあることは間違いない。かなり衝撃的で、驚いたあまりに私は、これには続編と第三弾があるのだが、すぐに買い求めて全部読んだくらいだ。

*「やっぱり京都人だけが知っている」「ほんまに京都人だけが知っている」

そして、そのどれもに少しの違和感と抵抗を感じつつ、やっぱり普通の京都人ならもっと素直なものの考え方をするよなあ、この人はやっぱり普通じゃない、この人の資質がひねくれているのだと思ったのだった。

 

ちなみに著者はロンドン在住。海坊主のような怪貌。


さらに1ヶ所、どうしても納得出来ない記述に遭遇。
大文字・五山送り火のことを「大文字焼き」と書いているのだ。信じられない。
…この人本当に京都人か?誤植ではないのか?

 

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