Book Maniacs

講談社現代新書

タブーの漢字学

阿辻哲次

講談社

2005年

05/2/27

講談社現代新書のカバーが新しくなった。

私は、前のカバーをダサいとは思っていたものの、カバーをめくったらおまけのついている時もあったし、表紙にあらすじが書かれていたし、あのベージュ(薄い黄色?)の色目と共に長い間親しんで来たので、幾何学的な、あまり面白味のないデザインになったのが少し悲しい。

新書のデザインとしては、岩波とか、中公新書のものがスタンダードで、なおかつ良いと思うのだが、講談社のはその点、ちょっと毛色が違う。
最近ではちくまプリマー新書というののデザインがとてもよい、と思ったらクラフト・エヴィング商會の装丁だった。どうりで粋だと思った。しかし、装丁に比べて内容がいかにも薄い。
薄いというのは内容がないというのではない。文字が大きくページ数が少ない。ほかの新書に比べて情報が半分くらいしかないのだ。本来なら2、300円相当の文字の数しかないのだ。
…と、新書のデザインや文字数のことはまあどうでもよいのだ。

この本は、書店の店頭で見て面白そうだ、と思って衝動買いした(帯の惹句にもとても惹かれた)のだが、買ったあとは読むのが大儀で少し放置していた。

それでも読み始めたら存外に面白く、知識欲を思いきり満たしてくれる拾いものだった。

阿辻哲次という人は初めて読んだ。和辻哲郎の親戚かと思ったが、よく考えると名字が全然違う。関係ないようだ。私は一体何が言いたいのか。

 

ともあれ、どの国にもタブーとされる言葉はある。そして歴史の上でも、今では考えられないような言葉のタブーが沢山あった。

現在では言葉のタブーは緩和されているような気はするが、それでも排泄物を表す言葉などは、大声では言いにくいだろう。
現在はむしろ差別語がタブーとされ、きちがい、めっかち、びっこなどという言葉が忌まれる。
現在の言葉のタブーは、臭いものに蓋式のもので、感心出来ない。

それはともかく、平安の王朝の頃は、食べ物に関する言葉がタブーであった。
これは少し驚くが、昔、がつがつものを食べるということは、大変恥ずべきことだったらしい。
だから、ことに宮中に仕える女性が「おなかが空いた」などとは、とても言えないらしかったのだ。

だから、女官たちはソフィスティケートされた言葉を使って、食事や食材のことを表現した。
「もじ言葉」がそれだ。

ひもじい、という言葉はひだるい、という言葉から来ているのだという。

ひだるい、という言葉をあからさまには言えない。言うのは下品である、だから、最初のひと文字をとって、「ひ」もじと言った。それがひもじい、という言葉の語源だそうだ。
同じようにしゃもじ(杓子から)、食事以外でも言うのにはばかるおはもじ(恥ずかしい)、おめもじ(おめにかかる)などは現在でも通用する。「ほの字」なども現代的なはばかり言葉だろう。

そのほか、性に関する言葉、死に関する言葉、排泄物に関する言葉などが説明されており、始めに出て来る女房言葉以外のほとんどは、阿辻氏の専門である中国の漢字のタブーを扱っている。

性とか、死というのはタブーであるから、おびただしい言い換えの言葉が文献に残されている。「死」という表現に、没や、卒、或いは崩御という風に、身分によってさまざまな言い方があるのも、それをソフィスティケートさせると同時に、高い身分の者ほど、その死が世の中に大きな影響を及ぼしたからであろう。

さらに、言い換えによって、「便所」という言葉が限りなくいろいろな言葉で呼ばれて来たということも面白い。

 

しかしそれよりも何よりも、この本を読んでもっとも驚いたのは、中国では人の名前を露骨に口にしたり、書いたりすることはものすごいタブーであったということだ。
日本でも、平安の頃の宮中などでは、名を名乗ることがタブーであったらしいということは、何となく知っている。
けれども中国のそれは、その比ではないのだ。

皇帝は、この世でもっとも偉い存在である。中国では偉い皇帝の名は、文献に書くことが禁じられていた。
皇帝は尊い存在だから、みだりにあからさまにその名前を口にしたり、書いたり出来ないのだ。
だから、中国の歴代の文献は、皇帝の名をどうしても書かなくてはならない時は、ほかの字で当てた。
例えば漱石を草石というぐあいだろうか。

そして、それだけでなく、漱という字も、石という字も、その名の皇帝が在位中は一切文献上に書くことが出来なかったという。
石、と書かなくてはならない時は、意思とかいうふうに書き換えたということだろう。

この「書きかえ」によって、その文献がいつの時代の皇帝の時に書かれたかが分かる、と、研究対象にすらなっているというから、本当に驚いた。

このことを知っていないと、中国の書物を読むことが出来ないではないか。著者によると、おびただしい皇帝の名の書き替えがあるそうだから。

悲劇なのは、うっかり皇帝の名を読んだり書いたりした人は、直ちに処刑されたというから、我々には想像もつかない言葉のタブーだったのだ。

まさにはばかりながら読む驚嘆の書であった。

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