Book Maniacs

角川文庫

見仏記

いとうせいこう
みうらじゅん

角川書店

2003年(16版)
(単行本初版1993)

04/11/10

ついに出た。これは、かなり重要な本である。

私が仏に目覚めたもうひとつのきっかけになった本でもある。

いや、仏に興味がなくてもこの手の本には私は目がない。私がもっとも愛する部類の本だ。

このミスマッチ感覚、本来重厚なものを軽く解釈してしまうお気軽さ、この精神の自由さが、私の欲するところのものなのだ。
(私はこの逆、軽いものを重厚に理解する、のも大好きだ)

 

仏像を見るみうらじゅんの態度がいい。

うわあ、俺さ、今フェノロサ気分だよ

とか

いとうさん、ママはいくつだと思う?

と浄瑠璃寺の美しい吉祥天像をバーのママ呼ばわりしてみたり。

東北の弁慶堂というお堂に行き、仏は戦争していいなんて言ってないよ、と正論を説く。
「もっとピースな人たちでしょう、仏は」。だから、殺人者弁慶が「仏と一緒にまつられちゃいけないよね。仏をわかってない」。戦争主義者が仏となることには反対なのだ。

中尊寺の金色堂を訪ねて、

コレクターの家に呼ばれちゃった感じしない?

金色堂の仏には感銘を受けない。

東北のある寺には、四天王のうち一人が足りなくて、多聞天が独立して本尊になっているという寺があった。

しょうがないんで、多聞天に頼んだんでしょ、きっと。お前、この辺で人気あるから本尊やれよって

誰が頼んだのかといとうせいこうが聞くと、

増長と持国がさ、お前が本尊やれって言ったんだよ。俺たちは脇を固めるからって

私は、この本の中でこの部分がいっとう好きだ。
私もこのような見方を、仏に対してしたいと思う。この態度は、私の理想であると言ってよい。

 

また、京都出身のみうらじゅんは、京都に関して、京都は仏に関心が薄いと言っている。「むしろ、庭なんだよ、京都は」。

だから俺、三十三間堂とか東寺に奈良の匂いを感じるんだよね。

絶対、奈良は欲しがってるね。トレードしたがってる

確かに、京都は仏関係は薄い。

観光地としては、三十三間堂とか東寺は、京都でBクラスというか、かなりなおざりにされている。
清水寺とか、金閣寺・銀閣寺に比べたら観光地としては劣る、というランクづけになってしまっている。文化財的に見れば、超一級で、全国でも有数なのに。

トップクラスの仏を持っているというのに無関心とは、何と勿体無いことか。何が庭だ、何が紅葉だ。
みうらじゅんの嘆きをよく理解出来るのである。

 

いとうせいこうとみうらじゅんは、互いを仏友と呼んでいる。仏が二人を結びつけたのだ。
こんな仏友が、私も欲しい。

なお、DVDでも、見仏記が出ているようだ。

 

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