Art Maniacs
Book Maniacs

なかなかのちくま文庫

日本美術応援団

赤瀬川原平
山下裕二

文庫版2004年

筑摩書店

04/6/8

表紙のコラージュが楽しい。学生服でえばってる両人もステキ。

赤瀬川原平が、日本美術に挑む。

赤瀬川原平はもともと(?)美術家である。だから日本美術に対して、この年代になってオマージュを捧げることはとてもふさわしいと思える。
もともとは、前衛芸術家という認識があったかもしれない(自他ともに)けれども、年を取ると、誰でもその原点に戻りたくなる。誰でも多少丸くなり、ものの見方が多様になり、深くなる。

だからこそ、今、日本美術なのだろう。と思う。

赤瀬川原平は、そのほかに、トマソン的観点からものごとを見るという得意技がある。
年を取ることで多様になった精神と、トマソン的観点との合わせ技で、これは期待するなという方が無理というものではないだろうか。

そしてこの本は期待通り、日本美術のスタンダードとされている有名な作品について、ユニークかつ、なるほどと思える指摘の洪水が、とてもおもしろ楽しい本になっている。

けれども、今回はどちらかというと、私には赤瀬川原平よりも、今回始めて名前を聞いた、全然知らない山下裕二という人のほうが何となく主人公のように思える。

彼は日本美術の研究家らしい。赤瀬川に、作品と画家の解説をほどこしつつ、自分自身の考え方を述べているが、これまでの一面的な研究や、当たり前とされている説にはくみせず、独自の視点から作品を見る、見方を心得ている。
赤瀬川氏の洗礼を受けずとも、既に、彼はトマソン的見方が出来ているみたいなのだ。

長谷川等伯、光琳から青木繁、佐伯祐三、縄文土器にいたるまで、或いは竜安寺の石庭にいたるまで、有名すぎて、あえて誰も問題にしないような作品を選んで二人で語る。

私にはやっぱり好みがあって、尾形光琳、若冲、北斎などに興味がいく。その代わり雪舟なんて、えっ?という感じでどうも興味が出ない。
それらを平等に見てゆく二人の視線は、やっぱりプロだ。

何にでも興味を示せる、ということが研究者と、トマソン愛好家の特技なのだ。またそうでなければ、それを務め上げることは出来ないのだ。
私のような好みの偏りすぎた人間には、真似の出来ない境地だ。

この本を読んで、以前若冲の展覧会があったのに、行きそびれたことを思い出した。やはり、今更ながらに行くべきだったと後悔のホゾを噛む。
絶対私の好みだと思う。この目で見たかった。

 

日本美術のいいところは、私たち日本人なら見たいと思えばすぐにでも見られることだと思っていた。
自分の国の美術なのだ。その気になれば自分の目で見て確められるだろう。
外国の美術は全集などでしか見られないものが多いが、日本美術ならじかに見ることが出来る、これはかなりな得点だ。

ところが、なかなかそうも行かない。
MOA美術館にある「紅白梅図屏風」は、年に1回か2回のある時期にしか展示されないらしい。しかも美術館がリゾート地にあるから、おいそれとは行けないではないか。
なぜそんなところが所蔵するにいたったのかと、私は少しイカリを覚える。

そのほか、国宝のものなどは、大事にしまってあることもあるから、普段は見られないものが多いだろう。
美術館ではなく、お寺に鎮座しているものも当然多いだろう。とすると、それらを見るためにはいちいちお寺巡りをしなくてはならないということだ。
そう思うと、日本美術だからといって、いつでも見ることが出来るとは限らない。

なかなか不便なことである。けれども、日本美術なのだ。実物を見なくては何も語ることが出来ないのは、これもまた、当然のことだろう。

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