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あやしいPHP文庫

魔界都市 京都の謎

火坂雅志

2000年(2003年2版)
1996年単行本初版

04/7/31

明るい江戸に比べて、京都は魔界である。何という違いだろう。

魔界都市としての京都を扱った本は沢山あると思う。
いろいろ比較検討の結果、安い文庫で魔界をまんべんなく紹介し、なおかつ歴史的にもきちんとした記述がされているという点で、これがもっとも適当かなと思って、買った。

もっとも、安部晴明の母はきつねであった、と大真面目に書かれているので、そのくらいの本と言っていいだろう。

けれども平安遷都の理由、京都に鬼門があるわけ、小野篁(おののたかむら)の伝説、祇園祭の由来、信長・秀吉・家康の、それぞれの魔界対策(?)など、まあ記述はおどろおどろしいものの、エピソードは過不足なくフォローしてあって、楽しい。構成も分かりやすい。かなりお薦めだ。
とくに家康の項はかなり面白く、出色の出来といえるかもしれない。
しかも地図・写真つき。著者は実際の魔界をちゃんと歩いて確めている。
ほとんどは、観光客の行かない(京都人だって行かない、知らない)場所である。

だが六波羅蜜寺や六道の辻などはさすがに凄みがある。さすがの不信心者の私でも多少びびる。私の家の比較的近くだから、今度ぜひ行ってみよう。

 

平安時代には、今のような科学はないし、医療も進んではいなかった。
伝染病が流行っても、それがウィルスのせいだとか蚊が仲介するとかいうことは分からない。疫病とされ、それは、死んだ人のたたりだと恐れられた。

春が来て、夏が近づくと物が腐りはじめ、悪い病が流行り出す。

それは、死んだ人の霊が目を覚ますからだと考えられた。
この霊を静めるために、京都では初夏から夏にかけて、鎮護などの祭がとても多いのだ。

 

魔界、といっても呪術だの、風水だのが、意味もなくあったわけではない。神秘的だというだけで信じられていたのではない。平安のころにはそれが科学であったのだし、ちゃんと意味をなし、ちゃんと機能していたのだ。
それを忘れて単なる迷信や、言い伝えを信じる態度には疑問を持つ。

まさか、安部晴明の母がきつねであり、小野篁が閻魔大王の部下であったなどということを信じる人はいるまい。けれども平安の昔はそれらを信じるだけのバックグラウンドがあったのだ。

私がこの本を買ったのは、魔界や陰陽道や祟りを信じるからではない。

そうしたことが合理的な科学として信じられていた時代があった、ということを知っておくためである。
自分が信じていないということと、かつて平安の昔にはそういうことが信じられていたことを知っておきたいと思うこととは別だ。
こうしたことを知っておかなければ、平安の時代の人々の考えも、その人々が生きていた時代そのものも理解出来ないだろう。

 

私たちは、天変地異や、疫病の流行の原因などが、なにも分からなかった昔から比べれば、はるかに恵まれた環境にいる。
昔の人は、明日の天気も分からなかっただろう。どういう具合でいつ台風が来るかも分からなかったはずだ。原因を科学的に探るすべがなかったのだから。

私たちは、それに比べて何もかも分かった社会に生きている。台風が、怨霊のせいで起こる、などと考える人はいるまい。
平安の人たちは、天変地異や疫病の原因を知ることが出来なかった。だから陰陽道などを頼るしかなかったのだ。
それなのに、なぜ今、現代でこのように魔界や、風水や陰陽道が流行るのだろう。

少なくとも原因の分かるものに対しては恐れる必要はないはずだ。もしかして現代の我々は、平安時代の人間よりも愚かなのかもしれない。

 

楽しい江戸へ

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