お笑い哲学者3連発
ソクラテスの口説き方
土屋賢二著2003年
04/3/26
週間文春に連載されているエッセイはタイトルが変わったようだが、おおかたマンネリを打破するための措置なのであろう。そんな姑息な手段でマンネリが防げるはずもなく、エッセイの内容自体はまったく変わり映えがしない。
この工夫のないタイトルの新しいエッセイ集も、文春のエッセイをまとめたものなので、何ら変わり映えのないマンネリを極めた文の数々である。
ただ、いつものように帯の惹句、前書きが書下ろしでついており、それだけが楽しみであると言っても良いかもしれない。
また解説として著者の声がかりの身内などが迷惑そうに書いているのが、読みどころかもしれない。これだけくちゃくちゃにけなしているにも関わらず、発売された途端に飢えた鯉が餌に群がるが如く、まるで飛びつくようにして買うのはなぜだろうか。未だにそのことに対する適切な回答が見出せない。
棚から哲学
土屋賢二著2002年文庫刊
03/8/27
週間文春に好評連載されている意味のないエッセイ「棚から哲学」より、さらに意味なく抜粋された無意味な文章の数々である。
私の書き方は著者に大変失礼でかつ冷たいような気がされるかもしれないが、愛情の裏返しである(ほんとか)。
それにしても、週間文春誌上でこのエッセイを見つけた時は、若干のカルチャーショックを受けた。
それは知的ユーモアという点で非常に知的であり(日本語の意味不明)、私の知性を逆撫でする感性の類似を著者に見たからである。
つまり私ってこんなアホだったのかという自分の発見である。
汝みずからを笑え
土屋賢二著2003年文庫刊
03/6/27
これがかねてより、私が執心している土屋本の最新刊
言うことはさほどない。言うほどのことが書いてあるわけではないからだ。
ただ、これは「週刊文春」で連載されている「棚から哲学」の文以外のものを集めたものである由。そのせいで、いつもより多少まとまりがないかもしれない。もしいつもの文にまとまりがあったらの話だが。
表紙の漫画は、氏にそっくりである。