扶桑社文庫ってそんなのあったのか
真説県民大図鑑 「ニッポン・ジャーナル」編集部編 堀五朗訳 2000年刊 03/8/27 |
はっきり言って人の性格などというものは十人十色で、それぞれに際立っており、十把ひとからげにどうこうとは言えないものだ。
日本国では血液型で人の性格を推し量るということが日常化されているが、そこに何の科学的根拠も、蓋然性も正確さもない。
ましてや、人の性格を同県人という括りで推し量るということは、それ以上に無謀な試みであるだろう。にも関わらず、県民性でひとくくりにするということが、何故こんなに面白いのだろうか。
この本は、そんな日本人の県民性に対する先入観を、徹底的に喝破し尽くした快著であると言ってもよい。
類似品を本屋にて見かけることがあるが、この本以上に笑えるものはないのではないか、と思う。
もともとこの本は、外国人向けに日本人の県民性について書かれた著書を日本語に翻訳したもの、という但し書きが付いている。
(この但し書きは、限りなく怪しい)だから、これはどこか「ちはやふる奥の細道」的な、外人の、日本人についての勘違いを我々日本人がおいおいと突っ込みを入れながら楽しむ、というスタンスを基本としている。
例えば「奈良県人はいつも寝ている」などという記述がそれで、この大雑把なくくりがおかしくも痛快なのであり、ひょっとしたらそうかもしれないとか(ないない)、なるほど、ひとくくりで言えばそうかもしれないなど微妙に納得させられたり、或いは、よその県について殆ど知らなかったことを、そうだったのかと新たに発見したりと、なかなか侮れない記述に満ちているのであった。
殆どの人がそうすると思うが、まず自分の府県から読んでみる。
京都は、もちろん「ぶぶづけ」に関する記述で埋まっており、書いてあることはあらかた真実であると思う(ほんとか)。
(京都人は本音を言わない、と言うのは真実である)だが、京都に住む人間というものは、はっきり言って、岐阜県と、茨城県と、群馬県と栃木県の区別がつかないものである(その県の人がおられたら陳謝する)。
だから、岐阜県の県民性、とか言われても「?」である。
大体、日本のどこにその県があるのかさえ、把握していないのだ(その県の方が居られたら陳謝する)。
そうした時に、この本が大活躍する。ガイジンになった気になって、謙虚にこの本の記述をひも解けば、今までその県にとっては常識として通用していることでも、実は、他府県の人間にはまったく知られていないことを、今初めて理解出来ることになるのだ。
つまり北陸で言えば、新潟県がコシヒカリと「雪国」のコマコの県であること、石川県が加賀百万石のサムライの国、富山は薬売りと鱒寿司の県という、基本的なことを教えてくれるのである。
もちろん日本人としては常識だろう。でも、案外知っているようで知らない、のではないだろうか、現在の私たちは。
ちなみに、「ニッポンジャーナル」という雑誌は存在せず、編集部も存在しないとのこと。
やはり「ちはやふる奥の細道」同様の手口だった。やられたぜ。