Art Maniacs : Book Maniacs : Doll Maniacs
スーパードルフィー・パーフェクトカタログ 2003 朝日ソノラマ 1700円 04/5/11 |
スーパードルフィーのカタログ本。
スーパードルフィーというのは、私にとって、目の上のタンコブともいうべき存在で、どうも気になる、その存在が気分を落ちつかなくさせている、という感じのものだった。
いつか、ひとつは買わないとなあ、買うべきだ、買おうよ、などと漫然と思ってもいた。
(あまりにも高いので、そのたくらみは今まで一度も実行されなかった)だからこのカタログ本で改めてゆっくり研究し、どのような種類があり、最低いくらで揃うのかなど、データ収集をしようと思ったのだ。
しかし、このカタログを見て、よく分かった。
私には必要ない、と。つまり、SDを私は買わないだろう。そう決心させたのがこの本で、そういう意味では、支出1700円でSDと決別出来たのは安いくらいだ、とこの本に感謝している。
それとは別に、この本を見て(読むというよりやっぱり見る)なぜSDがこうも人気があるのか、そして私がなぜ必要ではないのか、それがはっきりと分かった。
なぜSDが人気があるか。
それは、基本的にはSDが昔の抱き人形のような大きさで、持ち主が思い入れを抱けるところなどはもちろんだろう。
だが、一番重要なのは、SDの少女にはヴァギナが、男人形にはぺ○スがついている、これが最重要な点だ。と思う。この本には、裸のパーツが掲載されているので、それが分かったのだ。
人形好きという人種は、フェチでマニアだ。だから、人形にヴァギナがついているだけで喜ぶのだと思う。そして私がなぜ、SDを必要としないか。
それは、この本の顔パーツを見て分かった。
SDは、顔が横に広いのだ。
バービーなど、1/6とか、普通の人形は、大体縦長の顔をしている。それが基本というか、人間を模したならそれが普通だからだろう。
ところが、SDは横に広いから、顔がべちゃっとしている。よく言えば童顔なのだが、この横長べちゃ顔が私は苦手なのだ。多分、だからどんなにSDが美しくても、抵抗を感じるのだろう。
最後に、ボークスという会社について苦言を呈しておく。
ボークスは、京都に本社がある。
最近、というか、近年、ボークスはSDによってかなり儲け、その金にあかせて京都のある地所を買った。
嵯峨野にある、もと誰それの別荘地だ(竹内栖鳳?)。
このことは、地元の新聞にも掲載された。京都の、ある人形会社が嵯峨野の地所を買った、ということで、京都ではちょっぴり話題になったのだ。その人形会社というのがボークスだったので、私はびっくりしたのだった。
嵯峨野には、何とか山荘とかいうのがある。それのひとつを買ったのだろう。それはまあよいとしても、そこを「天使の里」と称して、SDのオーナーだけを招待するとかの、意味不明のイベントをやっている。
このカタログ本の最初にカラーで紹介されている。私は突っ込みたい。
嵯峨野とSDは無関係だ。
なのに、その別荘は、スーパードルフィーの生まれた地なのだとかと、無理やりこじつけて、SDオーナーを特別に招待し、オーナーの優越感をくすぐり特権化する決定打にしようとしている。
嵯峨野とSD。あまりにも違うもの同士がどうしてくっつくのか。違和感ありまくり。
西洋風な人形と、京都の苔むした田舎。どこでどう結びつくのか。何が生誕の地だ。
地元の貴重な文化財級の建築を一般公開せず、訳の分からないオーナーだけに解放するとは、どういう考えなのか。猛省を促したいところだ。
(私はその別荘地には何の興味もない。けれども、それが「天使の里」などと珍妙なタイトルをつけて喧伝されることには失笑してしまうし、呆れてしまうのだ。)