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Leonardo da Vinci 3

レオナルド

 

聖アンナと聖母子 1508年ころ
The Virgin and Child with Saint Anne


ルーブル美術館

 

聖アンナとは、聖母マリアの母のことで、イエスにとっては祖母、おばあさんに当たる。

聖書(福音書)にはアンナのことは出て来ない。

中世になり、信仰の時代になってから新約外典、黄金伝説(聖人を記録したもの)などによって、
聖母マリアの話、果てはその母アンナの話が作られていった。

アンナの記述が出て来るのが新約外典「ヤコブによる原福音書」
(成立は3世紀ころと考えられているがそれ以上のことは知りませーん)

すべて 完全なフィクションである。

だが中世、12世紀ころになって、聖母マリア信仰が盛り上がり、爆発的に流行した。

 

なぜマリア信仰が激烈になっていったのだろうか。

 

太古より、女性は、子を産む、命をつなぐ、歴史を継続させる存在として、女神として信仰されて来た歴史があると思う。

プリミティブな女性信仰が、マリアの、神の子を産んだ、しかも処女受胎によって産んだ奇跡譚と重なって、
マリアの神性がより高められていったのではないか。そんな気がする。

そんな中で、聖母マリアへの信仰がマリアの母の存在にまで想像をたくましくさせて、
マリアの母アンナの創造へとつながっていったのではないか。

マリアの母アンナも、天使の告知を受けて、汚れなき子、マリアを生む。
マリアの受胎告知の再現である。

こうして聖アンナの存在は中世の時代から、あたかも聖書時代に実際にあったことのように
伝え継がれていったものと 思われる。

 

ジョット(1267頃~1337)が、スクロヴェーニ礼拝堂に、すでに聖アンナの生涯を描いている。

聖母マリアとともに、聖アンナ信仰も普通にルネサンス時代にも受け継がれ、ごく一般的に信仰されていたようだ。

レオナルドも依頼を受け、何の疑問もなくごく自然に描いたのだろう。

聖アンナの完成形として、あまりにも自然に、人間らしい肉体を持った、奥行きのある人物に描かれていて、
ここに聖アンナという存在がついに実在していたかと思わせるような、そんな驚きがある。

 

 


聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ  1498年
Virgin and Child with Saint Anne and John the Baptist

 ロンドン・ナショナルギャラリー

 

「聖アンナと聖母子」の下絵として描かれたと言われている。

 

この下絵が公開された時、下絵に過ぎないのに大変な評判を呼んだと伝えられている。

「聖アンナと聖母子」とはかなり違いがあって、聖アンナは天を指さし、
聖母マリアと並んで座っていて幼児イエスを抱えている。


何より幼児ヨハネが登場している。

ヨハネはバプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)のことで、イエスに洗礼を授けた預言者である。

イエスの先駆けとして福音書に登場した。

このヨハネの子供時代に幼児イエスと会っていたというのは、
中世の時代に、ヨハネはイエスとは従兄だという設定に、いつの間にかされていたからだ。

(ヨハネはエルサレムの祭司ザカリアとエリザベツの息子という設定で、エリザベツは聖母マリアの
従姉妹なのでヨハネはイエスの又従兄弟ということらしい「ヤコブによる原福音書」)

 

イエスとヨハネが血のつながりがあったという設定が、中世の時代、どうして必要のあることだったのか、分からない…。

福音書の記述からずれた、ずいぶん安直な設定だと思うのだが、
レオナルドは例によって何の疑問もなしに描いている。

 

レオナルド以外にも、レオナルド以前にもイエスとヨハネが幼児の姿で、マリアとともに描かれる図像はあった。

 


ボッティチェリ 聖母と幼児キリストと聖ヨハネ 1470-75 ルーブル

ヨハネは長じて荒野のバプテスマのヨハネとして描かれる時と同じように細い十字架を持つ

 

レオナルドの「岩窟の聖母」(1483ころ/1495ころ)は、その通りの図像で、マリアと、幼児のイエスとヨハネが描かれている。
(天使も描かれている)

聖アンナを加えた「聖アンナと聖母子」でも、レオナルドはヨハネを描こうとして、下絵段階では描いていた。

聖アンナとヨハネを足して新しい図像をさぐっていたのかもしれない。


しかし やがてその構想をやめ、たぶん印象が散漫になってしまうと思ったからか、
幼児はイエスひとり、登場人物はヨハネを外して3人だけとし、そうして 絵の求心性を高めようとしたのかもしれない。

 

このカルトンの「聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ」は、油彩の「聖アンナ」の下絵ではなく、
独立して描かれたものという説もある。

別個の作品として完成させようとして未完に終わったとも。

 

いずれにしてもちゃんとした油彩でないことが、かえってレオナルドのデッサンの力量が並はずれていることが
よく理解出来る。

マリアの微笑み、それを見守るアンナの慈愛、幼児イエスの聖性とヨハネの子供らしさ、
マリアとアンナの衣服と膝の表現、いずれも深い観察の上の深い人物表現、実在感。

それまで絵画でこれほど人物を掘り下げた、そしてその内面にまで迫った表現はなかった。

 






もう一度「聖アンナと聖母子」に戻る。

これも未完であるらしい。


聖母マリアに不自然なポーズをとらせてまで、母の聖アンナの膝に座らせ、
三角形の構図を作っている。

聖アンナの微笑みはモナリザに通じるもののごとく、
そしてマリアは柔らかく、慈愛に満ちた表情で我が子を見つめる。

雄大な背景の中に三人を置き、不自然なポーズがそれと感じさせない。

親から子、子から孫へと続く神の子の系譜。
女性によって命が継がれてゆく命の継続。

女性への崇拝のひとつの図像なのだろうか。

聖アンナの存在感は、伝承にすぎないのに確かな実在感を得て、
ついにレオナルドにおいてその存在を実感させることになる。

ここでは若々しく、祖母というイメージがないのは、あえてだろう。

安定した構図は、のちの規範となった。

幼児イエスが子羊を持つのは、仔羊が生贄の象徴で、
のちの殉教の暗示とされる図像に従っている。

旧約のアブラハムとイサクの犠牲の故事に則って、仔羊が
生贄の象徴となった。

その幼児イエスの無邪気さと損なわれない神性、大地の母たちの
慈愛を表す柔らかい衣服の表現、手や足の表情。

宗教画がそれをはるかに超えて、リアルな肉体として人間そのもの、
女性そのものの存在感を表現し、なおかつ神性を失わない。

驚異の人物表現と宗教画を融合させた類例のない天才のなせる技だろう…


下書きのデッサンから。


「聖アンナと聖母子」を、いろいろなポーズで試作していたことが分かる。

油彩作品とは向きが逆だが、ほぼコンセプトが近づいている。

アンナは聖母マリアを抱き、膝の上に乗せ、
マリアはイエスを引き寄せようとしている。

背景は自然の中ではなく、建物の中を想定していたようだ。

これも下書きから。


人物が増えている。誰か分からない。
多分イエスの父、ヨセフかもしれない。

左がマリア、右端がアンナだろう。

幼児イエスが大人たちから身を乗り出して、
だいぶ大きく描かれている子羊を触ろうとしている。


聖家族のテーマもいっしょくたに込めようとしていたのかも。

マリアはヨセフの膝の上に乗っているようである。
だいぶ無理のある設定。

これも下書き。


聖アンナと聖母マリアが、二人してイエスを覗き込んでいる、
という場面だろう。

アンナがだいぶ老女として描かれているのが一見して分かる。
始めは聖アンナを普通の老女として描こうとしたものと思える。

完成作品においては、より神秘性と神性を表すため、アンナを若く、
或いは年齢不詳に描いたのではないか。

聖母マリアは母アンナの膝の上に乗っていて、
やはり三人が密接につながっているという構図にしたかったのだろう。

イエスが幼児に見えない…大きすぎるような気が…



聖アンナの下書き。


やや年を取った女性の伏し目がちの肖像に見える。

絵の具を塗っていない段階のデッサンの方が、
スフマートで厚く塗られた本絵よりシンプルでレオナルドの筆致が
よく見てとれるのはどのデッサンでも同じ。

荒描きでも陰影がきめ細かくて美しい





聖母マリアの下書き。


このマリアは素晴らしい。

まさに慈愛と聖性を感じさせる無償の微笑み。

そして女性の包み込むようなやさしさ、
我が子を見つめる母の愛情、
女性としての美しさ…、
そんなものがこの何気ないデッサンに溢れていてみごとだ


足の部分のデッサン


本図の聖母マリアの足は布のようなもので覆われている感じだが、
デッサンでは衣服の上から足の構造がはっきりと分かる、
画家の腕の見せ所という超絶デッサン。

画家はこのデッサンを無造作に参考にして描くのだろうが、
このデッサンだけでも欲しくなるがな…

500年間残してくれた人々に感謝だ

 


以下、レオナルド以外の聖アンナの参考図像です。

 



ジョット 聖マリアの神殿への御奉献 1305年ころ
Presentation of the Virgin in the Temple




パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂にジョットが描いたのは、
イエスの生涯のほか、マリアの生涯とその母アンナとヨアキムの物語。

アンナの一生が描かれ、ヨアキムとの子、
マリアを授かる受胎告知の場面や、マリア誕生の場面など。

これは成長したマリアがアンナに連れられ、神殿にお披露目する場面。

ゴシックの時代に、すでにこれだけマリアの母、アンナの物語の
一部始終が絵に描かれていた。




Francesco Traini 聖アンナと聖母子1340-45
Madonna and Child with Saint Anne 




ゴシック時代の聖アンナ像。

聖母子像とともに多く描かれることになったのだろう。

構図はそのまま聖母子を写していて、
聖母子の上方に神のごとくに彼らを守る、という形。

聖アンナがこわい…まるであたかも神のよう。

しかし威厳をもって聖母子を見守る、教会の祭壇の信仰図として、
じゅうぶんに説得力があっただろう。



「聖アンナとマリア」(処女マリアの教育) 1350年ころ
Saint Anne and the Virgin



まるで聖母子像と同じ構図で、子供のマリアと母アンナを描いた、
聖母子像かと見まごう、おそらくゴシック時代の「聖アンナと聖マリア」

たしかに女の子が聖書(?)を開いて読んでいるような図で、
その頭には両者とも光背が。

すでにマリア信仰、聖アンナ信仰が浸透していたという事実だろう。

素朴な、ゴシック時代らしい聖母子像にのっとった聖アンナの肖像のようだ。



聖アンナと聖母と幼児キリスト 16世紀
Anna Selbdritt



16世紀に入って、いっきに聖アンナの図像が増える。

やはりレオナルドが手掛けた影響によるものと思われる。

素朴なこの聖アンナと聖母マリア、幼児キリストが三角形の構図の中に
配置される、古典的な図像だが、これも16世紀のもの。

聖アンナは年相応に描かれ、威厳をもって聖母マリアを見守っている。

マリアは若く、お姉さんみたい。

破綻のない昔ながらの祭壇画の構図だ。



フランクフルトの画家 「聖アンナと聖母と幼児キリスト」 1511-15ころ
Saint Anne with the Virgin and the Christ Child



とくに北方で聖アンナ像が発展していったようだ。

数々の北方ルネサンス画家によって、聖アンナを加えた聖母子像が
描かれてゆく。

この3人にヨアキムを加えた4人の構図の作品も登場する。


北方の画家だけあって、ヤン・ファン・エイクを想起させる。

まるでファン・エイクの「ロランの聖母」の寄進者をアンナに変えたような構図。

聖アンナに対しても一定の様式が生まれていたのだろう。

ここでもマリアは若く、アンナは厳しく威厳に満ちている。



作者不詳「聖アンナと聖母と幼児キリスト」16世紀
Saint Anne with the Virgin and the Child



聖アンナに加え、ひざまづいている人はおそらく寄進者だろう。
そのほか聖人らしき人物や天使らしき若者など、様式通りに
にぎやかに聖家族を取り囲む。

聖アンナと聖母子のバリエーションが、聖母子像と同様に増えてゆく。







デューラー 「聖母と幼児キリスト」 1523
Virgin and Child



ドイツ・ルネサンスの雄、デューラーも、聖アンナを加えた聖母子像を
描いていた。

デューラーの内面描写がさすがに素晴らしい…


祖母として慈愛を持って娘マリアを見つめる聖アンナは
そっとマリアの肩に手を置いている。

そして聖母マリアの若さと無心の敬虔さ、我が子に祈りをささげる
純真な信仰心、それが画面から伝わって来る。


レオナルドほど大胆な構図や人物表現の実験はしていないが、
教会の祭壇画という枠を超えて、普遍的な感動を呼び起こさせる
絵のように思う。




クラナハ 1518年 「聖アンナ」
Die Heilige Anna Selbdritt Anagoria



同じくドイツ・ルネサンスの画家クラナハによる聖アンナと聖母子像。

こちらは無邪気にイエスに手を差し伸べてちょっかいを出していたりする
可愛いマリアの感じ。


天使たちが上でベールを持って彼女たちを外界から守っているようなので、
やはり教会からの要請かもしれない…


ドイツ系の聖アンナのいる構図は、伝統的な聖母子像と似通っていて、
定型に従っており、
レオナルドほど奇抜?オリジナルな構図ではないようだ。




フランチェスコ・メルツィ 「聖アンナと聖母と子羊を抱くイエス」
Saint Anne with the Virgin and the Child Embracing a Lamb




レオナルドの弟子による模写。

師、レオナルドに忠実な模写だ。
メルツィは確か、レオナルドから遺産をもらい、
師の残した膨大なスケッチを管理した人でもあったと聞いたが。

レオナルドの弟子はオリジナルな創造は出来なかったにしても
技量はあったようだ。

師の作品より色彩豊かにより理解しやすく翻案しているようだ。

レオナルド以降、「聖アンナ」のこのような模写作品も沢山出回り、
かなり自由な発想で聖アンナと聖母子像が生まれていったのではないか。

レオナルド以降、バロックに至っては
ずいぶんフリーダムな聖アンナと聖母子像が描かれるようになるのだ。



チェザーレ・ダ・セスト Cesare da Sest
「マドンナと幼児イエスと仔羊」
Madonna and Child with the Lamb of God



レオナルドの本図から聖アンナを除いたような図。
レオナルド派の絵だろう。

面白いなあ…

このような聖母子像はラファエロに受け継がれてゆく。

レオナルドが、聖母子像においてもいかに革命的だったかが
よく分かる一連の図でありました。

 

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参考 「西洋絵画の主題物語」 聖書篇 美術出版社 1996年

 

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