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Diego Velazquez 2

ベラスケスのキリスト磔刑図と宗教画

 

Christ

十字架上のキリスト

ベラスケスの描いたこのキリスト像は、世界中でも、最も美しい磔刑図なのではないかと、私は思う。

 


1630ころ プラド美術館

 

磔刑の悲惨さよりも、肉体の美しさを思わず賛美したくなる。

 

教会の祭壇画として注文を受け、製作されたという。

ベラスケスはイタリア旅行から帰った直後で、
イタリア・ルネッサンスの絵画、技法、とくにこの絵ではルネサンスの肉体表現を学び、
習得したその跡があます所なくよく表現されている。

ルネサンスは人間復興を旗印に、中世では軽んじられていた人間の肉体を肯定し、
その美しさを追求した芸術活動でもあった。

 

キリストの磔刑図は数多く製作されてきたが、
たいがい痩せさらばえた、惨めで貧弱な肉体のキリストというのが、
磔刑図の一般的な約束事だった。

しかしこのベラスケスのキリストは、ルネサンス的な輝くばかりの肉体を持っていて、非常に珍しい表現である。

 

珍しいといえば、足に穿たれた釘が、左右それぞれ一本ずつ、二本になっていることも珍しい。

殆どのキリスト像は両足を重ね、一本の釘で磔にされているのだ。

でも考えてみれば、現実としては、両足を重ねて穿たれる、というのはいかにも姿勢として不自然で、
またそんな格好で何日も磔にされたままではいられないのではないかという疑問が、私には常々あった。

左右の足にそれぞれ一本ずつ、というのが、やはり刑としては親切であろう。

刑に親切というものがあればだが。

 

映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」では、問題の磔刑の場面では、足と手の部分に、
釘とは別に縄をぐるぐる巻かれていた。

やはり、現実としてはそうでもしないと、肉体を支えきれないのである。

古来より、画家たちは誤った約束ごとで磔刑を表現してきた、と言わざるをえないのだ。

しかしそれが、絵画的表現というものであった。

 

ベラスケスの宗教画

 




磔刑のキリスト 1631



この磔刑図もベラスケスのものらしい。

同じようにキリストの足には左右1本ずつ釘が穿たれている。

これがスペインのキリスト図の一般的な図像だったのかもしれない。


上のプラド美術館のキリスト磔刑図と同じように
肉体はルネサンス的に均整がとれていて、残酷さをあまり
感じさせないが、キリストの顔は苦痛で歪んでいる。

十字架の下方には髑髏が転がっていて、それが凄惨さを表しているようだ。

上のような拝むための祭壇画ではなく、単独の絵として描かれたのだろうか。

でも磔刑図は普通、拝むために描かれるものなので、
信仰の厚かったスペインでは祭壇画として用いられたかもしれない。

祭壇画でももっと残酷な表現のものがゴシック時代からずっとあった。

むしろ昔の方が表現が苛烈で、プラドのような美しいものの方が
珍しいかもしれない。






東方三博士の礼拝 1619ころ



通称マギの礼拝とも言われる。

ベラスケスの初期の宗教画(宮廷に上がる前)。

救い主イエスの誕生を知り、それを祝うために
東方から三博士がベツレヘムの馬小屋にやって来る。

福音書の有名なキリスト誕生の場面を描いたもの。

中世の時代から、それこそさまざまな無数の画家がこの場面を描いて来た。


ベラスケスのこの画では、幼子イエスがまるでごく普通の赤ん坊のようで、しかもいかにもスペイン人の生まれたての赤ちゃん、という感じ。

やっぱりベラスケスはスペイン人、
そして聖性よりもリアリズムの人。

マリアのまわりにつめかけた三博士は黒人も含め、
豊かな肉づきを与えられ、光の当たり具合もリアルそのもので、
17世紀の現実世界を反映しているように見える。

陰影のつけ方がいかにもバロックの時代、ルネサンスの素朴で求心的な世界とはまったく違う三博士の礼拝図だと思う。





エマオでの食事 1620



有名な福音書の一節。

ルカ伝24章、十字架にて殉教したイエスは葬られたが、
三日後に復活し、エルサレムから離れたエマオで二人の弟子にその姿を現したという。

弟子たちはその人がイエスだとは気づかず、イエスがパンを取って祝福を与え、初めてイエスと気づいた。


この場面もさんざん有名な画家によって描かれつくされて来て、
おなじみのシーンだが、ベラスケスがまだ宮廷画家になる前のものだろう。

カラヴァッジオ風の肉体表現と、光の当たり具合、
そして人物はイエスの特別感以外はいかにもそこら辺にいる普通の人。

この辺がイタリアの宗教画とはまったく異なる。

人物を最小限に絞って劇的効果を狙っている。

 

 

 


聖母マリアの戴冠 1642



とくにスペインではマリア信仰が盛んで、聖母に関する絵画が
多く描かれたように思う。
まああんまり詳しくないが。

それでも聖母被昇天とか、無原罪の御宿りなどのテーマは
スペインで沢山描かれたという印象がある。

父と子と精霊の三位一体を表す神とキリスト、
そして精霊を示す鳩が聖母マリアの上に配されている。

右側が神で、左がキリスト、二人がマリアに冠を授けている所。

画面下には顔だけの天使(小天使)が描かれているが、
これも宗教画の約束事に則ったもの。


ベラスケスは宮廷で王族の肖像ばかり描いていたという印象があるが、要請に応じて、あまり得意でない宗教画も手掛けたのだろう。

けれども構図は安定し、教会に置かれるには相応しい威厳を保っていると思う。

 


柱に繋がれたキリスト 1632

 

 エルサレムに赴いたイエスは捉えられ、刑に処せられる前に獄に繋がれる。

描かれたのは、一番上のプラドの磔刑図のころと似通っている。


獄に天使と少年が現れる場面だが、少年は霊を表していると言われるが、スペイン人が描くと
ただの少年に見えてしまう。

天使も、分厚そうな衣服に身を包み、ボリューム豊かな肉体を持っていて、羽根は生えているものの、
イタリア人の描く天上の存在とは程遠い、普通の人の後ろに羽根を描いただけ、というような実在感がある。

それでも厚い信仰心が、イエスの受けた辱めを心から自分の身に引き受けようとしていた、
そのイエスを思い偲ぶために描かれた絵、スペインでのキリスト信仰がどのようなものであったかを偲ばせる。

イエスの苦痛と酷い運命を描きたかったのだろう。

ベラスケスもやっぱり根っからのスペイン人だったのだろう。 

 

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参考)  集英社 世界美術全集15 ベラスケス 1979年

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