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Paul Klee

パウル・クレー

R荘

2017/4

 

クレーの絵を最初に見たのは、小学校の時、家にあった近代絵画全集のようなものの中でだった。

印象派以降のたくさんの近代画家を紹介するシリーズで、家にはたしか全編が揃っていたような気がする。

全集に紹介されていた画家の良さは、小学生にはあまり良く分からなかった。

その中で、パウル・クレーの作品は、どこか心に残るものがあった。

ほぼ抽象に近いが、色合いが計算されていて、色と形態の組み合わせ方というのか、
コンポジションと色の組み立て方というのか、絵としては何を描いているのか理解できない
抽象的な絵なのに、色合いの美しさで印象的だったのだと思う。

とくにその中でも「R荘」と題された絵は、子供心にメルヘン的な感じがして、ずっと忘れられないものだった。

 

今回、久しぶりにこれを見て、自分の心の中では、家の前にでかでかと描かれたRの文字が、
もっとずっと大きいような気がしていたことに気がついた。

Rの字があまりに印象的だったので、それが強烈に頭に残り、そんなイメージが自分の中にすっかり
出来あがっていたのだろう。

 

黄色い月がこうこうと照っていて、画面下から向こうのR荘に通じる道がうねるように描かれている。

R荘の左上の半円は、それも半月の月のようだ。

家の壁は白くて、まるでメルヘンの中の家のようだ。

この家が、なぜRという名前なのだろう? そんなイニシャルの人が住んでいるのだろうか?

 

多分クレーは、ほかの絵と同じように、形態と色との組み合わせを、この絵で楽しんでいるようだ。

多分、そのような実験をしているつもりなのだろう。

けれども、その絵の中に突然、R というイニシャルが大きく出現している。

それが、とても不思議で、幻想的な感じがして、描かれた道から導かれる家が、
何か神秘的な家に思えて、

いったい誰が住んでいるのだろう? 誰も住んでいない空き家なのだろうか?

長年放置されている家なのだろうか?

子供心にそんな想像をかきたてる、私にとってはそんな絵が「R荘」なのだった。

 

「R荘」は、だから子供の時の私の、想像の翼を広げてこの絵を見ていた、その記憶の中の絵だ。

 

 


幻想オペラ劇「航海者」の戦いの場面

 

パウル・クレーが好きだったのは、この絵のように色を四角いますで囲い、グラデーションを多用して、
その微妙な移り変わり方が美しかったからかもしれない。

この絵もメルヘン的な気がして、何が主題なのか分からなかったが、航海者が槍を持って
大きな魚に戦いを挑んでいる姿は、あまり切迫した感じはなく、
しかも魚は槍につつかれて涙を流しているのだ。

クレーは童心を忘れていない画家なのではないかとも思ったりしていた。

 

その画集の後ろに解説がついていて、クレーは結婚したが、そのころは貧しくて、奥さんが生計を
立てていて、クレーはイクメンとして主夫業に専念していて、息子のためにあやつり人形を作り、
その操り人形を動かす劇場も作り、それを息子に見せて、子守をしていた、などというような記述があった。

息子のフェリックスは、今でも(その頃のこと。今から何十年も前だ)その人形を大事に保管していて、
残してあるということだった。

 

クレーの眼光鋭い肖像写真が掲載されていたが、その見かけによらず、
そんなに子煩悩な人だったんだと思った覚えがある。

そしてそのエピソードを読んで、ますます私はクレーという人は、童心を忘れずにいた人なのだと
思ったことだった。

 


自画像

ほんとうはもっと男前

 

 

 

それからもうずっと大人になってから、西洋絵画の小さい、文庫本の西洋絵画の歴史、というような本を買った。

その中に、クレーのこの「忘れっぽい天使」の絵が(ペン描きだろうか)掲載されていた。

これを見たとたん、ああ、これは本当に天使だ、本当に忘れっぽい天使なんだ、
すぐに忘れてしまう、何を忘れたかな、と考えている。

そんな天使の絵だと思えた。

そしてクレーにノックアウトされた。

 

晩年、クレーは病を患い、あまり思うように絵が描けず、こうした単純な線描しか出来なかったということだ。

それがかえって、こんな単純でいながら、深い、忘れがたい、天上的にメルヘンなものが描けたのだと思った。

本当に童心を忘れずにいた人なんだと思った。

 

  

天使は増殖する

 

私にとって、クレーは子供の時の、画集ばかりを眺めていたあの頃を思い起こさせる画家なのだった。

 

 

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