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Sir Edward Coley Burne-Jones

バーン・ジョーンズ 1833-98

2017/6


黄金の階段 The Golden Stairs テイト・ギャラリー1876-80

 

この美しい、華麗な作品を見ていると、つくづく見る事の喜びを感じる。

はじめて雑誌で見た時の感動がまざまざと蘇ってきて、目も心も、至福の時を過ごすことが出来る。

バーン・ジョーンズは、ラファエル前派の中でも穏健で端正、奥ゆかしい画風だと言え、

それだけにロセッティのように露骨な女性賛美(平たく言うと女好き)で反感をかう事も少なく、
ヴィクトリア朝の時代の良識的な、模範的な画家というイメージが定着している。

それは言い換えれば模範的過ぎて面白味がない、ということにもなるのだが、

この作品の、ロマンティックで神秘的、シンボリックな佇まいを見ると、

バーン・ジョーンズもまた、象徴主義の典型的なひとりなのだとつくづく納得させられる。

 

ラファエル前派は物語の説明的解説、イラストだと常に批判されているが、
確かに印象派などの「大人の」絵画に比べると、甘さにまさった幼稚さが目立つ。

それでもなお、私はそうした「甘さ」が大好きで、それこそがラファエル前派や、バーン・ジョーンズを特徴づけているものに他ならないと思う。

 


 

さてこの作品は、廃屋らしき建物の階段から、さまざまな楽器を手にした少女たちが降りてくるところを描いているようだが、謎めいた図像に見受けられる。

 

まず階段というマテリアルは、どうしても天国というイメージを想起させる。

古来より、階段は天国へ昇天するという象徴として絵画で扱われてきた。

さらに、白いチュニックを纏った少女たちがさまざまな楽器を手にしているのを見ると、
ルネサンス期の「奏楽の天使」を思い起こさずにはいられない。

作者が、それを年頭にして描いているのは間違いないだろう。

見るものに天国的なイメージを喚起させるのも、無理のないことだと言える。

一様に無表情な彼女たちは美しいが、バーン・ジョーンズの絵には、
すべてこの同じ顔の女性が登場する。

彼のプロトタイプというか、女性像のアーキタイプなのだろう。

美しい少女たちの群像を、バーン・ジョーンズ好みの縦長の画面に描いた事で、
華麗さをより引き立てているようだ。

 

彼女たちは天使のようにも見えるし、女性という性を超えた、中性的な、両性具有的な
イメージも付与させられているのかもしれない。

屋根に一部穴が開いていて、そこから青空が見え、鳩が止まっている。

そこは天へと通じる青空を表しているのだろうか。

少女たちはこれからどこへ行くのだろうか。どこから来たのだろうか。それは、青空の見える天国で、天から遣わされた使いなのだろうか。

 

見る者にさまざまな想像をめぐらせてくれる、夢の世界のような絵だ。

*パブリック・ドメインにはいろいろな色調があってどれが本当の作品の色なのか良く分からない…

 


 

バーン・ジョーンズのその他有名作品

 

 
ヴィーナスの鏡 The Mirror of Venus  1873-77 Museu Calouste Gulbenkian, Lisbon

もとは挿絵だったという。

すべて着衣の女性が池を鏡代わりに自身の姿を覗いている。

その表情はやはり無表情で、いちように同じ顔をしているが、古代風の衣服はカラフルだ。

ひとり立っている青い衣装の女性がヴィーナスなのだろう。彼女の鏡の姿は池の蓮の葉に隠され、池には写っていない…

彼女らは池の鏡の己の姿の向こうに何を見ているのだろうか。

美貌の少女たちのそれぞれのポーズが美しい、耽美的な作品。

 


ヴィーナスの鏡(別バージョン) The Mirror of Venus1898 個人蔵

 

ひとり立つヴィーナスは白い衣装を身につけ、それが透けて、白い裸体が透けて見えている。

よりヴィーナスらしい立ち姿になっている。

それにしても彼女たちは池の鏡に何を見つけたのだろう。

 


眠り姫(いばら姫連作)60×115 Sleeping Beauty 1871-73 Museo de Arte de Ponceプエルトリコ


バーン・ジョーンズは童話・眠り姫を何度か絵にしている。

連作としてもう一つあるが、それはイギリスのオックスフォードシャーにあるもの。


姫だけでなく、姫に仕えるすべての人々が深い眠りについている。

そしてその永遠とも思える眠りのあいだ、彼らの間でははまるで時が止まっている。

眠りを覚ます王子の来訪を、求めてさえいないかのようだ。

そして彼女たちは永遠に年を取らないのだ。

 

 



不吉な顔 The Baleful Head 1885 テイトギャラリー


バーン・ジョーンズはギリシャ神話のペルセウスとアンドロメダを主題にした作品をいくつか描いているが、そのうちのひとつ。

英雄・ペルセウスが助けたアンドロメダ姫に、メドゥーサの首を見せているところだろう。

メドゥーサを見た者は、石に変身してしまうという。

だがアンドロメダ姫が井戸に映る姿を見ているのは、表情のない蒼白な自分の顔。

まるで彼女の顔が不吉であるかのように、己の顔を覗き込むアンドロメダ姫。

華麗な装飾的な背景が、物語性を無にしてしまうような、デコラティブな美しさに彩られた画面だ。

 


コフェチュア王と乞食の少女 King Cophetua and Beggar Maid 1884 テイトギャラリー

バーン・ジョーンズの代表作。

テニスンの詩に題材をとっているらしい。

ある国の王が花嫁を探すうち、乞食の娘の美しさに気づき、彼女を妻に迎えたという。

ある種のシンデレラ・ストーリーなのだろう。

花嫁にふさわしい女性とはどんな女性なのか、姿かたちだけではない、魂の美しさも必要なのだ。

彼女の正面を向いた無表情の美貌から、そんな教訓めいた話も思い浮かぶ。

縦長の装飾的な画面が効果的で、ルネサンス絵画をよく研究した成果もうかがわれる。

もっとサイズを小さくした違うバージョンもある。

 


パンとプシュケ Pan and Psyche 1872年 バーミンガム・アートライブラリー

 

バーン・ジョーンズはラファエル前派らしく神話に題材した絵をたくさん描いている。

クピドに愛され、彼の花嫁となったプシュケは、言いつけを守れず夫クピドの真の姿を見てしまう。

怒りを買った彼女は川に身を投げ、半獣のパンに助けられる…

牧歌的なリアリズムの背景の中に、ギリシャ神話の世界を忠実に描いた、画家の代表作。

彼女を哀れに思い、助けるパンの気持ちが画面から伝わって来る。

 

童話の挿絵と言われるラファエル前派の絵だが、こんな素朴さも伝わるものがあれば、
それはひとつの我々の絵を見る楽しみでもある。

 


ピグマリオン 魂の獲得 The Soul Attains, Pygmalion 1868-70 Joseph Setton Collection, Paris

 

バーン・ジョーンズはまた、ピグマリオンをテーマとした作品のヴァリアントをたくさん描いた。気に入りのテーマだったのだろう。

早くに妻を亡くしたというバーン・ジョーンズにとっては、魂のない者が息をし始める、
それは再生のイメージだったのかもしれない。

自分が作り、愛した彫像が息をしはじめ、魂を得る。人間として生き始める。

そんな奇跡を心から喜び、感激に浸るピグマリオン。

童話的な主題からも感動は得られる。

 

ほかのラファエル前派の画家のような派手さやエピソードはないが、
素朴なルネサンス回帰と素直なリスペクトによって、
バーン・ジョーンズは、嫌味のない、誰もにあたりのよい、素直に美しいといえるよい絵を描いたと思う。

彼はサーの称号を得たことからも、英国において尊敬される、大画家として生涯を過ごしたのだろう。

ステンドグラス作品もタペストリーもあり、モリスとの共同作品など、工芸品の分野でも活躍した。


 

バーン・ジョーンズを1ページに収めようとしたけれど、とても収まらないのでまたつづく…

 

ラファエル前派Rosseti 

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