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Houitsu

酒井抱一

1761-1828

2017/5


夏秋草図屏風

 

夏秋草図屏風についてはもう何度も語って来た。

ほとんど凄惨といってもいい、夏草と秋草の風に吹かれて葉の裏まで翻る、その風の動きまでが感ぜられる様子。

艶やかというも鮮やかというも、銀色の背景に深く草花が刻まれて、ある種のエロティシズムさえ感じさせ、忘れがたい興趣を醸し出す。

右上にわずかに群青で描かれる水の流れ。

ここだけに琳派と思わせるその流れは、まるで天空へと天駆ける魂の響きかのようである。

ここは光琳の風神・雷神とは切り離して考えたい。

 


紅白梅図屏風

 

尾形光琳に私淑していた抱一。「光琳百図」を著して、光琳作品の保護と啓蒙につとめた。

この紅白梅図も光琳のものが念頭にあったことは当然だろう。

抱一はそれを銀地で描いた。

抱一の銀。それが抱一の色だったのだろう。

 


水仙図屏風 左隻

なぜ、銀だったのだろう。

これほど銀泥を扱った画家はいなかったのではないだろうか。

単なる思いつきなのか、それとも抱一ならではの美学だったのだろうか。

 

光琳の燕子花図が念頭にあっただろう。

青と深い緑の織り成すハーモニーを、緑と白に置き換え、ステレオタイプに並べる。そこに美を見出した。

 

 


波図屏風

光琳の波濤図屏風に触発されて描かれたという。もとの金地を抱一の好みの銀地に変えて。

この波の描写は素晴らしい。

力量がなければここまでは描けまい。

抱一が単なる光琳のシンパではもはやなく、彼ならではの表現と美意識を得ていたと思う。

 


尾形光琳 波濤図屏風

参考にしたという光琳の波図。

おそらく宗達も描いた波、琳派の継承をここでも感じ取ることが出来る。

それぞれの力量で、それを自分のものにしていった。

 


風神雷神図屏風

抱一は原典の宗達作品を見てはおらず、光琳の図を写したと言われている。

さもありなん、この図は光琳のあまり出来の良くないコピーとなってしまっている。

3作品を比べて見てみると、力量の違いが良く分かる。

それでもなおかつ光琳に倣わないではいられない抱一であった。

洒脱を旨とする抱一にとって、荒ぶる自然の神は彼のフィールドではなかったろう。

 


 


柿図屏風 1816年 メトロポリタン美術館

この柿図がとても好きだ。

たっぷりとした余白を取り、左側に柿の木を寄せて描く。

折れ曲った柿の木の葉を散らし、ところどころに実を結ぶ、その姿のなんとエレガントで優美なこと。

構図のモダンさ、いかにも日本らしい情緒、そして正統な琳派の後継に、いや琳派どうこうでなく、
この季節を表した日本的情緒の優雅さに心が躍るのだ。

 

 

 


白蓮図 細見美術館

蓮の花は仏を表すとも言う。蓮は仏の座る台座でもあった。

武家の出ながら出家した抱一には親しい画題だったのかもしれない。

しかしこの蓮図は宗達の「蓮池水禽図」を思わせる。

すっくと伸びた蓮の花の崇高さと潔さに、これほどの清々しい世界を表現したかと思う。

宗達の無邪気で無心の世界とはまた違う凛とした表情がある。

 


 


十二か月花鳥図 宮内庁三の丸尚蔵館  9月8月7月 6月5月4月 1823年

抱一にはいくつかのバージョンの「十二か月花鳥図」があり、これは宮内庁三の丸のもの。

いずれの十二か月もほぼ定型の、季節の花鳥をただ定型通りに配しているだけの絵なのに、
そこに日本の季節の巡りが鮮やかに、さりげなく、そしてつつましく表現されて、
それが見る者に落ち着いた風情と気持ちの良い心持ちを与える。

ごく普通の花鳥が、これほどまことに日本の季節を気持ちよく切り取るとは。

 


十二か月花鳥図 3月2月1月

十二か月花鳥図は、本来、床の間にその季節ごとに掛け軸を掛け替えて季節を楽しむものなのだろう。

そうして一幅だけを見てみれば平凡な軸なのかもしれない。

が、こうして十二か月が揃ってそれを見る時、日本の季節の移り変わりを意識しないではいられない。

古来より、我々はこうして季節の移りを楽しみ、愛でて来たものだろう。

 


十二か月花鳥図 12月11月10月

たらし込みや余白、琳派の手法を使って、これほど上品で素直に、見る側に何のストレスも与えない絵を描いた。

上品、そして安心出来る絵、さらっと気持ちが良くなる絵、それが抱一の絵だと思う。

 

    
十二か月花鳥図 プライスコレクション 2月 8月

抱一の十二か月花鳥図の中で最も好きなのが、実はプライス・コレクションの十二か月だ。

使っているアイテム、モチーフがもっとも少なく、簡素である気がする。

簡素で遠慮がちだからこそ、粋もより際立つ。

そんな気がして、プライスの十二か月に粋の極みを見るのだが。


 


三十六歌仙図貼付屏風 プライス 右隻

右隻は冬・春か…左隻には夏の花と秋の紅葉が背景に散らされる。

夏・秋はにぎやかすぎて、あまり好きになれないのでここでは省く。

三十六歌仙の画と歌も抱一の手になる。

貼付けという手法ながら、屏風の背景も貼付けの和歌も、抱一の手によるのである。

貼付けの位置もレイアウトもすべて計算したのだろう。

贅沢な空間だ。粋の極みに溢れている。

こんな屏風で部屋を飾ればさぞよい心持がされるだろう。

 


抱一×若冲


玄圃揺華(若冲) 手鏡帖(抱一)

光琳に私淑していた抱一だが、若冲の拓版画を着色で描いたりもした。

それぞれの美意識の違いがくっきりと際立っている。

若冲の拓版画「玄圃揺華」を華麗な色彩で再生。

若冲のくさりかけの花や、穴の開いた葉っぱをきちんと美しく再生しているところが笑える。

 


手鏡帖  南瓜図と蛙図

モノクロームの世界を色彩に変える。

無邪気な発想だが、見事に抱一なりの個性を活かして、成功しているように思う。

倣びから始まった抱一なのだろうけれども、彼なりの美意識が己の個性をちゃんと活かし、独自の世界を作り上げたのだ。

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