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Giotto di Bondone

ジョット


小鳥に説教する聖フランチェスコ

 

ジョットといえば、聖フランチェスコの生涯を描いたアッシジの聖フランチェスコ教会の、
小鳥に説教するフランチェスコがとても好きだった。

清貧に目覚め、素朴で質素で、小鳥にもキリストの教えを教えるという自然を愛したフランチェスコに、
ジョットの素朴な絵がぴったりだと思っていた。

聖フランチェスコは、イタリアの明恵上人のような気がしていた。

明恵上人も自然を愛し、動物を愛した人だったから。

このフランチェスコの素朴な人柄をそのままに描いたようなフレスコの壁画が、しかし本当は
ジョットの作品ではないかもしれないという。

 

聖フランチェスコが死んだのは1226年、ジョットが生まれたのは1270年ころとされていて、
ジョットがフランチェスコの死から、ざっと約60年後くらいに、まだ聖人の記憶が残っているころ、
この聖人を描くことに矛盾はないような気がする。

 

しかし 研究者が、ジョットのスクロヴーニ礼拝堂などのほかの作品と比べて作風が違うことや、
共同で画家たちが描いたのではないかなどという見解を持っているらしい。

ただ、実際にジョットではないにしても、清貧を貫いたフランチェスコが、小鳥にまで説教としようとする、
この場面のまだルネサンス前だが、それでもゴシック時代の定型から少しずつ抜け出し、
人間としてのフォルムをしっかりと持っているフランチェスコの身体表現から、
フランチェスコの純朴な人柄が伝わるようなこの絵の感動は少しも損なわれないと私は思う。

 

ジョットと聖フランチェスコという取り合わせ、人間の描写に厚みを初めて持たせた画家と、
清貧を貫いた聖人という取り合わせは何ともぴったりだと思えて、それでこれがジョットの絵だと
みんなが思い込んだのかもしれない。

そうであってほしいという思いが、あったのではないだろうか。

 






エジプトへの逃避


パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂にある壁画は、キリストの生涯
(マリアの生涯などもある)を描いていて有名だ。

ゴシック時代の13世紀のジョットは、これまでのゴシック絵画の定型と
決まりごとを抜け出して、人間に人間としてのフォルムを獲得させた。

ずっしりとした重みを感じさせる人間の確かな存在感、衣に身を包んだ
人々のしっかりした重み、

ゴシックからルネサンスへ、その第一歩を踏み出したジョットの革新性、
けれども敬虔なキリストへの愛が、そこにしっかりと読み取れるのでは
ないだろうか。

ヘロデ王の幼児虐殺の難を逃れようとエジプトへ逃避行を決意する
ヨセフとマリア。

幼児イエスはマリアの胸の中で、不安げに母につかまり、母マリアは
決意したような厳しい表情、それを心配そうに振り返る父ヨセフ。

しっかりとした地に足の着いた表現で、聖母マリアを中心に置いて、
その衣服の描写の豊かさなどから、
厳しい環境に耐えてゆこうという聖家族のドラマが
繰り広げらけている。




ユダの裏切り

スクロヴェーニ礼拝堂の一連のフレスコ画でも最も有名な場面のひとつ。

イエスの生涯をたどりながら、このクライマックスを迎える。

イエスを裏切ったユダと、イエスが直接対峙する。

ローマ兵士にイエスはどの人かと言われ、自分がキスをする人がそうだと
ユダが言う。

そしてその通りにユダはイエスに接吻をする。

聖書の、イエスの生涯でも有名な場面。

ジョットは画面中央の、二人の顔を接近させることによって、
この場面の緊張感を二人の対峙する顔によって表現している。

逮捕しようとやって来るローマ兵士たち、それとくんずほぐれつの
騒動、ペテロは兵士の耳を切り、
しかし絵の真ん中では、イエスがユダと静かに向き合う。

喧騒の中での、この二人の緊迫した見つめ合いがドラマチックで、
まるで映画の一場面のように効果的に見る者に迫って来る。



上の図の部分

ユダがイエスに接吻をしたという聖書の記述の、その一歩手前で
絵は描かれ、二人がその瞬間に見つめ合う。

イエスは落ち着いた表情で、これから行われるユダの行為を
受け入れるかのごとき静けさを漂わせ、
ユダは緊張で耐えきれるかと、イエスにすがろうとしているかに見える。

このユダは、異邦人のような荒々しい人物として描かれている。

そして自分の衣服でイエスを包み込むようにしてすがりついている。


イエスの静かな表情が、物悲しい。

すべてを知って、受け入れようとしているのだろうか。
イエスの心の内を想像させるような、ジョットの手法が鮮やかだ。

ゴシックの時代で、これほど緊張に満ちた人間のドラマを描いた。

ジョットはゴシックから、ルネサンスへとその扉をこじ開けたのだ。




顔を近づけることによって、見る側の視線を、
そこへ集中させてゆく。

青白い、息絶えた我が子イエスを抱え込むマリアの深い悲しみ。
キリスト哀悼

十字架から降ろされ、息の絶えたイエスを母マリアが抱きかかえ、
悲嘆にくれる。

この構図、右斜め上から崖を配し、その斜線の通りに人物を配置し、
見ている者の視線を、イエスと彼に顔を近づけ哀悼する母マリアに
集中させてゆく。

見事な構図であると同時に、イエスの悲劇と母マリアの嘆きが
痛切に胸に響いて来る。

マグダラのマリアはイエスの血の気のなくなった足を遠慮げに触れ、
その死を悼んでいる。
何ということだと両手を広げるヨハネ、そして周囲を取り囲む人々。

空の上では天使たちがおのおの嘆き悲しみ、周囲も人々もイエスに
視線を集中させている。

これも人間ドラマとして、昔から人々の感動を呼んで来た。


部分
オニサンティの聖母(荘厳の聖母)


現在ウフィツィ美術館に所蔵されているジョットの聖母像。

背景を金で覆いつくすゴシック様式の聖母像だが、
聖母マリアにはしっかりとした肉体が与えられ、
そこにサブタイトル通り、威厳を感じさせる。

キリストが堂々と周りを祝福している。

取り囲む天使たちの描写も自然で、ジョットが、祭壇を飾る
定型の聖母子像でもあざやかに、ゴシックから一段階進んだ、
人間描写を獲得していて、聖母やイエスに人間的な肉体を
与えたのだということが分かると思う。

   

*ジョットのスクロヴェーニ礼拝堂のヨアヒムとアンナの生涯、聖母マリアの生涯、イエスの生涯を描いたフレスコ画については、
いずれもっと詳しく取り上げたいと思っています。

 

参考 週刊アートギャラリー44 ジョット デ・アゴスティーニ 1999年 

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