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俵屋宗達 

Tawaraya Soutatsu

2017/5


 風神・雷神図屏風 17世紀前半 建仁寺

 

この宗達の国宝屏風絵は京都の建仁寺というお寺にあり、 その寺は実は私の家から歩いて15分くらいのところにあるのだった。

 (その事実を長いこと知らなかった。というか、建仁寺という寺を知らなかったのである)。

ゴールデン・ウィークに建仁寺がこの屏風を一般公開したのを私は見てきた。

雨の中を案内してくれたおとん、ありがとう。

 


 

なぜこの絵が好きかというと、風の神様、雷の神様がそれぞれ何となく愛嬌があり、とてもかわいい。

おへそを出しているが、そのおへそのばつ印がなんともユーモラスである。

というわけで、このふたり(?)のかわいらしさ、愛らしさがたまらないのである。

なお、風神は風の神様として、CMでも有名(?)。

 


 

  こちら、尾形光琳の「風神・雷神図屏風」。東京国立博物館蔵

 宗達の「風神・雷神」は、琳派のスタンダードとなり、琳派でこの図が代々受け継がれて行った。

 やはり京都の光琳がこの図を写したが、シブい宗達に比べ、華麗な色彩で迫る。

 しかし「写し」でこれだけの完成度を持つのはさすが光琳である。


追記 01/6

この文章を書いたのは99年の秋頃だったと思う
               アップしたのはさらにそのだいぶあとだったが

父と行った建仁寺

その頃、ゴールデンウィークに休むことが出来て、その休日、無為に過ごすことが忍びなくて、

ちょうど公開される風神・雷神を、母に見に行こうと前から言っていたのだった。


しかし、急遽田舎から親戚が来ることになって、母が行くことが出来なくなった。

私は、すごく失望して、ふくれつらで、行くと言っていたのに…となじった。


すると母は、おとうちゃんと行って来たら、と言う。

父はうそ寝していて、そんなん、行かん、と言っていた。

めんどくさい、と言って。

でも、やおら起き出して、そんなら行こか、と言ってくれた。

その日は小雨が降って、傘をさして、私たちは歩いて建仁寺まで行ったのだった。

道すがら、いつものように、父はここは○○や…とあれこれ私に解説してくれる。

帰りには、永楽屋へ寄って、甘いものを奢ってもらった。


四条で寄り道するからと、私は父に一人で家へ帰ってもらい、残った私は四条で、一人気ままにぶらぶらしたのだった。

何て、自分勝手な私(笑)。

今から思うと、本当に悪かったなあと。

というか、わがままばっかり。

だけど、ああして二人であんな所に行ったのは、初めてで、最後だった。


行っておいて、良かったなあ。
そう思う。


鶴下絵三十六歌仙和歌巻

宗達画・本阿弥光悦書 17世紀前半 京都国立博物館


出だしのところ 光悦の柿本人麻呂の人が抜けて、書き足している

 


出だし

鶴下絵についてこれまでもはさんざん言って来た。

本来ならば、巻物全部を通して見るのが一番なのだ。でも制約があるから仕方がない。

宗達の描いた鶴図の下絵に、光悦が三十六歌仙の和歌を書いた、
宗達と光悦の日本絵画史上でも比類のない最高のコラボレーション。

 

鶴が水辺から飛翔し、自由に空を飛び、波と戯れ、やがて再び水辺に

 

 

連続写真のような鶴の飛翔が下絵とも思われない自由さで描かれ、
そこに光悦の書が下絵に負けじと流麗な筆で三十六歌仙の和歌を書く。

二人の丁々発止の技のスリリングな競演

 

三十六歌仙の和歌に、鶴を下絵にするという発想はどこから出て来たものだろう。

光悦の指示だったのか、それとも宗達独自に考えたものか。

私はプロデューサー、光悦の指示のような気がするが、ともあれその発想も斬新だったと思う。

 


猿丸大夫の部分 くちばしが少しずつ見えて来る描写が圧巻 アニメの発想のようだと言われている

 


鶴が反転している部分

 


波が上に描かれている

鶴下絵を最初に見た時の衝撃と、心躍りは忘れられない。

そして何度見ても、その心躍りは変わらず、見るたびに二人の作者の競演を心から楽しむ。

 


 


舞楽図屏風 17世紀前半 醍醐寺

 

この不思議な空間に配置されている舞楽の舞い人たち。

見るたびにこの空間の間延びの仕方、人物たちの飛び飛びの位置に不思議な気持ちになってしまう。

舞い人の姿は、既存の絵の使いまわしだという。

だが宗達はそれを彼独自の空間に配置し、独自の世界を表現した。

それぞれが無関係に、なんのつながりもなく、そこにいる気がする。

これを見るたび、この舞人全員が笑えるのだが、笑っていいものか、それとも真面目に見なければならぬものか、
いつも困ってしまう不思議な絵だ。

 

 


 

   
牛図 双幅 17世紀

宗達が考案したというたらし込みの技法によって、猛々しい牛の荒ぶる姿を描いた。

水を含んだ墨によって、見事に牛の造形を表している…

のだが、本物を見ると、あまりにも墨が薄くて、ただ汚いだけ…のようにも見えてしまう。

経年で墨が劣化したのだろう。

が、殆んど見えなくなった画面から、それでも目を凝らすと、宗達のたらし込みの並々ならぬ意気込みが伝わって来るのだ。

 

 

   
左・犬図 中央・兎に桔梗図 右・蓮池水禽図     17世紀

宗達は動物をたくさん描いた。

そこには小動物への愛に溢れている。

犬図は、子犬が春に芽吹いた草の匂いを嗅いでいる様子だろうか。

たらし込み技法を使いつつ、子犬の可憐さが伝わって来る。

中央のうさぎも花の中で何やら考えごと?

そして右の蓮の咲く池から飛んでゆく鴨?
…水鳥の後ろ姿が何とも言えずユーモラスで、おかしみがあって、可愛らしくて大好きな作品だ。

 


蓮池水禽図 17世紀前半 京都国立博物館

池に漂う二羽の水鳥は、てっきり鴨かと思っていたが、カイツブリという鳥だそうだ。

多分つがいの鳥なのだろう。

そして、その上に大きく描かれた蓮が、池の実在感を表現していてみごとだ。

この構図のすばらしさ…

 

だが、現物はほとんど墨が見えず、もはや何が描いてあるのか、目をよく凝らさないと見えないのだ。

水を含みすぎて、墨が劣化しているのだろう。

だが、池の波すらよく見えない、池を描いていないのに、それが池だと分かる。

上にいる方のカイツブリは口をわずかに開けていて、ご機嫌な様子だ。多分餌を食べて満足しているのだろう。

何とも言えないこののどかな池のひととき、つつましやかなカイツブリの姿、すべてが愛しく優しい

 


 

養源院 杉戸絵 8面のうち 1621年


白象図 1621年

京都・東山三十三間堂向かいに位置する養源院でいつでも拝観できる、板戸に描かれた絵。

大胆な縁取りでデフォルメされた白象はユーモラスでもあり、迫力満点。

この時代にこれほどのデフォルメで、これほど大胆な絵を描いた人もないのではないだろうか。

どこからこの発想が出て来たのだろう。

 


唐獅子図

同じく養源院の板戸絵、左の獅子は八方睨みの獅子とされる。

永徳の唐獅子を知っていたものか。

けれどもここでも宗達の奔放さは自由闊達な筆遣い。

権力の象徴の獅子ではなく、どこかユーモラス。



麒麟図

鹿かと思ったが、頭の真ん中に角が生えているので、麒麟らしい。

麒麟にしては猛々しさよりも何とも可愛らしい。

そして、前、後ろに描かれている波は宗達の得意の波の表現。

この波は、のち琳派に受け継がれてゆく。

 


養源院 松図襖 1621年

統一感に欠けるなどと言われている、白象図などと同じ養源院にある襖絵だが、
私はとても好きだ。

大きな松が襖いっぱいに描かれ、木の幹がボコボコと大胆な造形なのが宗達らしくて、面白い。

 


扇面散貼付屏風より 田家早春図 17世紀前半

宗達は扇屋の息子だった。

扇面貼交ぜ屏風のうちのひとつ。その中の扇面の絵も、すべて宗達の筆によるものだと思う。

扇として使用するものでなく、屏風に貼るために描かれた。
(扇面の山の線が見えない)

大きな家の屋根を扇面いっぱいに大きく描く、宗達のおおらかさと大胆さが楽しい。

 

扇面のレイアウトを自身の絵に取り入れたとも言われている。

風神・雷神図の余白の取り方などにそれがうかがえるという…


参考 週刊日本の美をめぐる2 奇跡の出会い宗達と光悦 小学館 2002年

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