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Parmigianino

パルミジャニーノ 1503-40


凸面鏡の自画像 1524年 Self Portrait in a Convex Mirror ウィーン美術史美術館

 

凸面鏡に写った手前の異様に大きい白い手、その向こうのまるで少年のような美青年の顔、
左上にわずかに見える歪んだ窓、

これが凸面鏡に写った自分の姿を描いたものとして、名高い肖像だ。

鏡ではなく、なぜか凸面鏡。 

その歪みから、手と窓の描写から、これが凸面鏡を覗いて描いたものだと察することが出来る。

円の中に丸くおさめていながら、どこかいびつな歪み。

そしてその肖像は冷たいような美貌の持ち主。それが自分を描いた自画像であるという。

確かにナルシシズムに満ちた絵なのに、そのナルシシズムがどこか歪んでいて、クールでもある。

 

ルネサンスも盛りを過ぎた1500年代、成熟よりも定型化、そして腐臭のする退廃へと進んでゆく、
その中から生まれた象徴のような作品。

パルミジャニーノの名は、マニエリスムの復権とともにその業績が再評価されてゆく。


パルミジャニーノは言うまでもなくマニエリスムのスターだ。

この画家の代表作といえば名高い「長い首の聖母」、そして「凸面鏡の自画像」「アンテア」
そして「クピド」ということになるだろう。

異様に長く引き伸ばされた人体、こわばった表情、その異様さに、ルネサンス絵画を見慣れた者ほど
違和感を抱くが、だがパルミジャニーノはそれだけではなかった。

その時代では流行作家として、おそらくは人気があったのだろう。

もしかしたら、時代の要請が、画家の持っていた個性を要求したのかもしれない。




アンテアの肖像 (若い婦人の肖像)Antea(Portrait of a Young Lady)
1535ころ ナポリ カポディモンテ美術館

暗い背景からぼうっと浮かび上がる白い肌の、心なしか怯えたような、
こわばった表情の婦人の、正面を見据えた謎めいた肖像。

この怯えたような、冷たくも射るような視線に惹きつけられずにいられない。

この絵もまたそのようにして何百年も見る者を魅惑し続けて来た。


絵のモデルは画家の恋人とも、高級娼婦だとも言われている。

肩の上に掛けられ、その端を手に持った狐(?)の毛皮の描写、
女性の耳に飾られるイヤリング、高級なドレスの質感…。

そして胸を押さえる左手の痙攣的な描写だけが、
彼女の内面を饒舌に語っているようだ。


小さい顔に引き伸ばされた人体は、不自然だが、そこに独自の美の世界が確かにある。

暗い背景がよりいっそうこの女性の謎めいた存在感を際立たせている。





長い首の聖母 Madonna with Long Neck 1534-40
ウフィツィ美術館


 もうひとつ、パルミジャニーノ作品で名高いのがこの「長い首の聖母」。

 規範的な人体の描写からみたらあまりにも首が長いので、この名が
 つけられたのだろう。
 
 聖母の人体そのものも異様に引き伸ばされている。

 
 しかしそれよりも聖母が抱いている幼子、イエスもあまりにも身体が
 引き伸ばされ、不自然なポーズで聖母の膝から落ちそうで、ゆがみきっている。

 聖母の首の長さだけでなく、この謎めいた暗示ばかりの画面の謎解きは、
 これまで学者たちがさんざん試みて来た。


 背景の複数ある柱の謎、建物はなく、柱だけが屹立している。

 そしてその前に立つ小さな象徴的な人物像。

 聖母の向かって左側にひしめいているのは子供たちなのか、天使なのか、
 それともそれぞれが象徴的な意味を持つのか。

 とくに聖母のすぐ左側に顔を見せている少女は真正面を向いて、無表情である。
 それがぬっと顔を出していて不気味でさえある。

 こんな聖母子像は、ルネサンス時代にも、それ以降にもないにちがいない。
 




クピド Cupid 1523-4 ウィーン美術史美術館


まだあどけない幼児の顔のクピドに、それにあまりにも似つかわしくない、
大人びた、成人の身体つき。

完全に狂った人体像にまず驚かされる。

背中に生やされた小さい羽根の異様さ。

そしてクピドの足のあいだから覗いている二人のこれもクピドなのか、
その表情の異様さ、二人で争っているのか、
彼らのポーズの謎めいた暗示的な表現も異様だ。

クピドは弓をナイフで削っているようだ。

しばしば弓を射るクピドと称されるが、それは相応しくないタイトルだろう。

だが何より後ろ姿を見せ、しどけないしっかりとした尻をさらし、
挑発的な視線でこちらに挑むかのような、この立派な大人の身体を持つクピドの
異様さに、誰もがぎょっとするだろう。

パルミジャニーノの時代、理想的な人体の追及はすでに遠くなり、
画家独自の世界観で表現を確立する時代だったのかもしれない。

 

肖像画




ジャン・ガレアッツォ・サンヴィターレの肖像
Portrait of Gian Galeazzo Sanvitale 1524
ナポリ 国立カポディモンテ美術館


若いパルミジャニーノに、サンヴィターレ城の装飾を依頼したのが、
この絵の貴族ガレアッツォだったという。

パルミジャニーノはこの貴族を威厳のある、
厳しくも堂々たる品格を持った人物として真正面からとらえた。

丁寧に描かれた手と手すり、右手にしたコイン、
背景に描かれた兜の装飾、そして貴族らしいいでたちで圧するような
風格を感じさせる人物を理想的な人間として描いているのではないだろうか。


パルミジャニーノは肖像画家としても活躍した。

肖像を描く時、彼は真摯に人物を描く。

肖像画家として抜きん出た才能を持っていたことをじゅうぶんに
伺わせる画だ。





Portrait of Giovane Hampton Court c1530s


パルミジャニーノには膨大な肖像画がある。

彼は当代の人気画家で、肖像の注文も引きが切らなかったようだ。

いちように前を見据えた、視線が鋭い肖像画で、
パルミジャニーノが対象人物を、鋭い観察眼で捉えていたことが
よく分かる。


モデルはまだ若い少年のようだ。

顔が小さく、手が大きく、射るような目線で
少しねじった体から正面を見据えている。

にこりともしない無表情さが印象的だ。

身体は引き伸ばされているが、
それでも肖像画家としては的確に誠実に人物をとらえることに成功している。



本を持つ男の肖像 Portrait of a man with a Book c1524
ヨーク・アートギャラリー


本が大文字のタイトルなので、聖書を読んでいるところだろうか。

前を見据えた鋭い表情の、これもモデルの内面をしっかり捉えた
よい肖像画と思う。

パルミジャニーノは肖像においては、常に真摯で、
人物の深みもじゅうぶんに表現していたようだ。



フランチェスコ・マッツォーラの肖像
Francesco Mazzola 16世紀


フランチェスコ・マッツォーラという名前は、パルミジャニーノの本名だ。

パルマ出身なので、パルミジャニーノと呼ばれるようになったらしい。

この肖像は、すると自画像ということになる。

パルミジャニーノは37歳で早世しているが、その晩年の肖像と言える
だろう。

金勘定をしているところだろうか、机の上に硬貨が散らばっているように見える。

厳しい表情で、緊張を湛えた肖像になっている。

背景に、意味ありげな彫像らしきものが描かれているが、
晩年のパルミジャニーノは錬金術に傾倒していたという。





トルコの女奴隷 Schiava turca c1532
パルマ国立美術館

 パルミジャニーノにしては珍しい、意味ありげな微笑を含んだ女性の肖像。


トルコ風の装束に身を包み、頭の被り物も、手にした羽根の扇もすべて
トルコ風のエキゾチシズムを狙ったものだろう。

女奴隷というにしては堂々とした表情で、パルミジャニーノ特有の
挑むような挑発的な目つきと口元が印象に残る。

トルコ風の装束をモデルに着せて描いたものか。

パルミジャニーノの中では異色で、しかしそれも彼の個性の現れかもしれない。

若い男の肖像 Portrait of a Young Man 1520ころ
ルーブル美術館


かつてラファエロの作品と考えられていたらしいが、
パルミジャニーノの自画像であるらしい。

凸面鏡以外にも自画像を描いていた。

かなり自分の容貌に自信を持っていたのだろう。

この自画像も若く、そして申し分のない美しい肖像と言ってもいいだろう。


ただ晩年の彼は、錬金術に凝るあまり、この若いころの美貌の面影も
なくなっていたという。

 

 

宗教画と神話




サウロの改宗 The Conversion of St. Paul c1527
ウィーン美術史美術館


使徒行伝より主題をとる。

キリスト教の迫害者であったサウロが、ある日天からの光に倒れ、
声を聞く、なぜ私を迫害するのか。
それはキリストの声だった。

それ以降サウロはキリスト教に改宗し、パウロと名乗り、伝道に努めたが、
殉教した。

キリストの弟子パウロとはまた違う、もとユダヤ教徒のサウロの話。


道中を馬で急ぐ中、天からの光に照らされ馬から落ちた瞬間だろう。

パルミジャニーノの時代ももちろん宗教画の需要は大いにあった。
大きく描かれた馬、その馬の斑の鞍とともにその巨大さに驚かされるが、
大仰なポーズで天を仰ぐサウロも、不自然なまでに
ドラマティックに演劇的で、サウロの決定的瞬間を描いている。
 



聖ヒエロニムスの幻視 The Vision of St Jerome 1527
ロンドン ナショナル・ギャラリー


聖ヒエロニムスは荒野で修行し隠者として生活した。

その時ライオンがつき従っていたので、図像ではライオンが描かれる。
それ以外に書斎で研究する学究者としての図像もある。


このパルミジャニーノ作品は、荒野で修行中に幻視する場面だろう。

右下に小さく描かれた、赤い布を巻いて眠る白髭の老人がヒエロニムス、

そして画面手前に大きく描かれているのが幻視に登場する洗礼者ヨハネ、
上方には聖母子が浮かんでいる。

幼児キリストは気取ったポーズで母マリアにもたれかかり、
その聖なる母子を大仰なポーズでヨハネが彼らを見よと指差す。


何よりタイトルになっている聖ヒエロニムスが脇役になってしまっている構図に
驚く。


極端な縦長の画面といい、人物たちの引き伸ばされた人体、
そして指先の表現、パルミジャニーノの特徴がよく出ている。

こういう図像はルネサンス時代には出て来なかった。

時代が下るにつれ、どんどん発想が膨らんでゆき、さまざまな宗教画の
場面のバリエーションが増えていったのだろう。
 



聖母子 The Madonna and Child 1527-30
キンベル美術館 テキサス


聖母子のみを描き、背景も暗い布で覆い、シンプルな聖母子像に見えるが、
幼児キリストはかなり引き伸ばされた身体で、
ツルツル頭(生まれたてという表現なのかもしれない)、
「長い首の聖母」のキリストをふと思わせる。

だがパルミジャニーノの聖母子の中では比較的おだやかな表現だろう。

マリアは厳粛に我が子を見守り、細長い指の手でキリストを抱き抱える。

小さい頭の、少し伏し目がちなところがマリアの美しさを
際立たせているように思える。

目立たないくらいに遠慮がちに描かれた後輪も美しい。




 



薔薇の聖母Madonna of the Rose


幼児キリストが薔薇を持つことからこう呼ばれるようになったのだろう。

だがキリストは不自然に細長く引き伸ばされた身体を
ベッドにしどけなく横たえているように見えるし、
その姿は異様に大人っぽく、とても幼児には見えない。

球体(地球儀?)の上にもたれかかった手には、ブレスレットさえしている。

そしてまるで挑発するような目つき、
この幼児キリストの異様さは目を引く。

聖母の冷たい表情と長い手指、
まさにパルミジャニーノの退廃的なマニエリスムを象徴するような聖母子像。
 



聖カテリナの神秘の結婚 The Mystic Marriage of Saint Catherine 1531
ロンドン ナショナル・ギャラリー


聖カテリナは伝説ではエジプトの王女。

車裂きの刑に処されたので、図像では車輪とともに描かれる。


キリストの花嫁に迎えられるという告知により、洗礼をして、キリストと
神秘の結婚を果たしたとも言われる。

パルミジャニーノの絵では、幼児キリストが車輪を持ったカテリナに
指輪を渡す。

キリストを抱いているのは聖母マリアだろう。そして左下端にマリアの夫ヨセフ。


このような不自然な設定、不自然な登場人物を一つの画面に描くことは、
ルネサンス時代からずっとあった。

宗教画はリアリティよりも、主題を明確に表現することに重きが置かれるのだ。


人物は独特の細長い身体と指を持ち、より一層痙攣的なマニエリスム絵画の
特徴を表しているように思う。
 



聖母子と聖人 Madonna and Child with Saints c1530
ウフィツィ美術館


聖母子像のバリエーションで、ただ聖母子のみを描くのではなく、
そこに様々な聖人をにぎやかに登場させるようになったのも、
ルネサンスで絵画が復権して以降、また宗教改革以降、顕著になっていった。

描かれるのは左から香油の壺を持つマグダラのマリア、イエスを抱くのが幼児の洗礼者ヨハネ、右端の老人が聖ザカリヤということだそうだ。

ザカリヤは旧約に出て来た預言者の一人だったような覚えがあるが確かではない…

マグダラのマリアは若すぎるが、壺を持っているのでそれと確認出来るが、
イエスを無理やり抱きしめている子供のヨハネの図像が並ではない。

荒野の時の毛皮らしきものを身に纏っているが、体にぴったりと纏わりついていて、体の線が顕わだ。

無理やり抱擁を受けるイエスといい、不自然さが否めない。

マリアは相変わらず無表情で能面のような表情である。

背景に描かれる廃墟らしき建物も暗示的である。


何より並列して描かれる人物たちの構図が、
もはやルネサンス期の安定性を求めていないようだ。
 



エジプト逃避途上での休息(聖家族と天使)
Rest on the Flight to Egypt 1524 プラド美術館


まず登場人物たちがさらに、ずらりと横並びで画面を占拠しているのにぎょっとさせられる。

イエスの父ヨセフは狭い画面からはみ出さんばかりだ。


聖書の記述の、ヘロデによる幼児虐殺から逃れるためのエジプト逃避途上で、
聖家族が休息をとる場面、
幼児姿の天使が彼らを慰めているのだろう。

だがヨセフは極端な老人として描かれ、天使が必要以上に強調され、
横いっぱいに狭そうに画面に並ぶ、

聖母子を扱う宗教画が、ルネサンスから遠く離れ、画家独自の表現法に
よっていったマニエリスム時代特有のものだろう。


それでもパルミジャニーノには教会のフレスコ画の注文もあり、
当代の人気画家だったことが分かる。
 


聖ロクスと寄進者 San Rocco e un Donatore
ボローニャ San Petronio


聖ロクスはフランスの聖人。ペストに襲われた人々を助けたことで、
ペストの守護聖人となる。

自らもペストに罹ったが、犬がパンを運んで来て彼を助けたという。
そのため、図像では犬が聖人に付き添う。

まだペストの流行っていた時代、こうした絵が描かれ、掲げられることで、
人々が救いを求めたのだろう。


パルミジャニーノはやはり大仰なポーズをロクスに取らせ、
引き延ばされた人体表現で天を仰ぐロクスを描く。

その引き伸ばされた身体は、のちのエル・グレコを思わせたりする。
 




聖バルバラ Saint Barbara 1522
プラド美術館


聖バルバラは父親によって求婚者を遠ざけるため塔に閉じ込められたという。

塔の中で信仰に目覚め、父に迫害を受ける。

図像は塔とともに描かれるというが、このバルバラは塔の中、孤独に耐える
彼女を描いているのだろうか。

あるいは信仰を認めない父への不信や不安を描いているのだろうか。

彼女の不安げな横顔が印象的だ。

手に持っているのが塔にも見える。

当世風の衣服に美しい髪形、あまりオーバーな表現がなく、
聖女の純粋さが際立っているように思える。


肖像画のようにも見え、肖像を描く時、パルミジャニーノは真摯になることの
証左でもあるような気がする。
 



ルクレティア Lucrezia 1540
カポディモンテ美術館


ルクレティアは西洋の数々の画家が描いて来た。

ローマ帝国時代の貞淑の象徴とされる婦人。

夫の留守のさい、王の王子が彼女を凌辱し、それを無念として自殺した。

この自らの胸に剣を突き刺す場面を数々の画家が描いた。

パルミジャニーノも、胸に剣を突き刺すルクレティアを、バストショットで描く。

片胸をあらわにし、まさに剣を突き刺した瞬間、横顔の口を開いた表情だけが
その無念の思いを表現する。

古代風の衣装、そしてヘアスタイル、マニエリスムらしい少し気取った、
演劇的表現だ。
 



パラス・アテナ(ミネルヴァ) Pallas Athene c1539
ウィンザー・コレクション


アテナはギリシャ神話の最高の女神、ローマ神話名がミネルヴァ。

闘いの女神でもあるので、鎧兜などの勇壮な姿で描かれることが多いという。

パルミジャニーノのこのアテナは、むしろそんな最高神の感じはまるでなく、
言われなければ普通の女性の肖像のようだ。

ただ胸からわずかに見えていて、指で押さえている鎧の輝きだけが、
この絵がパラス・アテナであることを示している。

それがなければ、憂いを含んだ、パルミジャニーノ好みの引き伸ばされた細面の、
美女の肖像かと見まごう。

肩に垂れた一筋のカールした金髪もうつくしい。

長く伸びた指も、ここでは美しい技巧を示している。

やはり人物ひとりをアップで描く時、パルミジャニーノの筆は冴えわたる。
 

参照  西洋絵画の主題物語1 聖書篇 美術出版社 1996年

     西洋絵画の主題物語Ⅱ 神話篇 美術出版社 1996年

     週刊世界の美術館75 カポディモンテ美術館 講談社 2001年 

 

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