ブルーナ絵本100冊目出版記念

ブルーナミュージアム展

2003年1月29日〜2月16日
美術館「えき」KYOTO

 

うちの同居している姪は大変な狼藉者で、生活すべてにおいてルーズで(時間、金、約束事)人間失格者なのではないかと思っているが、ひとつだけ褒めてもいい点があるとすれば、それはミッフィーが好きだということだ。

しかし彼女がミッフィーを好きになったのも、もとはと言えば私のおかげなのではないかと思う。

まだ姪がほんの幼児の頃、私が本屋で適当に見つけたミッフィーの絵本をプレゼントしたことがある。
彼女はそれがきっかけでミッフィーに目覚めたようなのだ。

私自身はミッフィーの絵本を読んだことがない。
(私の子供時分にはミッフィーの絵本はまだなかった。)

私には姪が二人いて、どちらも私の姉の子で年子だが、どちらもミッフィーが好きになり、変に詳しくて、長じて私が彼女らに「ふわふわさんて、誰」などと質問した日には、たちまち軽蔑され、せせら笑われる。

*実は3人いるが(甥もいる。4人姉弟)ややこしいので省いた

ミッフィーは、可愛らしいの基本*である丸(円)を中心にして描かれている。

*手塚治虫談

子供が一番かわいいと感じるフォルムで描かれているのだ。

子供に恒久的に人気のあるキャラクターは世界に沢山ある。
ミッキーマウスから、スヌーピー、ムーミンなどだ。どのキャラクターも円とか、丸みのあるフォルムで描かれている。
丸みのあるフォルムは世界共通でかわいく、安心感のあるかたちなのだろう。

ミッフィーは、明らかに日本のハローキティにも影響を与えたように思う。

しかしミッフィーは、キティのように消費者に媚びてはいない。
ミッフィーは、資本主義の消費のためのキャラクターではなく、もっと無垢で、もっと天上的なのだ。

 

このブルーナ・ミュージアム展を見ていると、作者のディック・ブルーナ氏は絵本作家というよりも、グラフィック・デザイナーなのだということが良く分かる。

空間の使い方、色の使い方、線の使い方が明らかにデザインである。非常に洗練されていて、日本の浮世絵の空間の使い方のようである。
色と形のハーモニーからすれば殆どモンドリアンである。

と思ったら、どうやらブルーナ氏自身、モンドリアンが好きらしい。
(ミッフィーが美術館でモンドリアンの絵を見るという絵本がある。)

ミッフィーの絵本にしても、とにかく線が少ない。色が少ない。説明の描写が少ない。
ないないづくしなのだ。
そしてもっとも単純な線、もっとも単純な色からさまざまな想像力を見ている者に喚起させる。

極力説明をしない。
説明をしないことで、見ている者の想像力に訴える。
また見ている者の想像力を信じて、約束事の世界を構築する。
結果、すべてを説明しないことで、豊穣な想像の世界が出来あがるのである。


殆ど花札

去年、ブルーナ氏の番組がテレビ放送された。
私も、もちろん姪もテレビにかじりついて見た。

それによると、ブルーナ氏はあのミッフィーの絵を描く時、あの単純な円形の輪郭を描くのに一時間かかるのだという。

下書きをし、それをトレースし、透明のフィルムに焼きつけ、そして筆でその輪郭を一時間かけて描く。

私はあっと驚いた。
あの何の変哲もない丸を描くのだけに一時間?

 

そして、ブルーナ・カラーと言われる、あの独特の色使いがある。

赤、黄色、緑、青、そしてあとからやむなく足した茶色、グレー。それに白と輪郭の黒を足したこれだけが、ブルーナ・カラーだ。
この単純だがカラフルな色ですべての感情を表わす。

透明フィルムにこのブルーナ・カラーを当てはめて、長い間考えぬいて色を決めてゆく。
ミッフィーのお洋服の色ひとつを決めるのにもないがしろにせず、一番良かれと思う色を、時間をかけて決めるのだ。

 

ブルーナ氏の世界は、単純な線、色、すべてが単純化されているからこそ、純化された世界を創出出来ているのだ。

しかし単純だからといって、お手軽にやってのけているのでは決してない。

丁寧に、時間をかけて、考えぬくからこそ、あの純化された何もなさが表現出来るということなのだろう。

 

ブルーナ氏のおだやかな顔を見ていると、ミッフィーの生みの親らしい、何とも言えない優しい、暖かい人格が感じ取れる。

しかし、同じくNHKのブルーナ特集の番組を見ていたら、ナチス・ドイツのオランダ占領時代、強制収容所送りになるのを逃れるため非常に苦労し、またユダヤ人らの悲劇を目の当たりにしたという。
(ブルーナ氏自身がユダヤ人だったかどうかは覚えていない)
そんな戦争の悲劇の影が、ミッフィーの絵本にみじんでも感じられるだろうか。

あの邪気のない、無垢な世界にそんな人類の不幸を体験したことなどは少しも感じられない。
しかし、それだからミッフィーの世界が浅いということではない。

例えばミッフィーが、おばあさんの死を体験する物語。
絵本界に話題を巻いた巻である。

ブルーナ氏の世界は、何もないから浅いという世界では決してない。むしろその逆だ。

悲劇と苦しみを乗り越えたからこそ、あの純化された世界があるのではないか。
そんな風にさえ思える。

ブルーナ・ミュージアムでは、子供がやっと入れるくらいの小さな入り口の小部屋があり、その中はブルーナカラーで仕切られていて、ブルーナカラーを体験できるようになっている。
子供しか入れない入り口だ。
子供が自由に行き来している。
羨ましい。

子供向けに展示も作ってあるのだ。

子供の背の高さに合わせたミッフィーの3Dアートの小窓もいくつか作ってあった。
羨ましい。
大人はかがまなければ見られない。
何で子供に生まれなかったのかと憤慨した。
全体としては、展示を見ながら心の中でカワイイーを連発し、えびす顔となって展覧会場を出た。

特設ショップでは、100冊目の絵本「ミッフィーのおばけごっこ」のぬいぐるみが売られていた。
ミッフィーがシーツをかぶっているぬいぐるみだ。
あまりにかわいいので、買おうという誘惑にかられずにいられなかったが、理性がかろうじてそれを押えた。高かったのである。

 

私は普段から、むつかしい漢字は書けるものの頭脳がもともと幼稚園児並みなのだが、このブルーナ・ミュージアムを見てからは、幼児どころか、乳児くらいの脳味噌に先祖帰りしてしまい、本屋でミッフィーの絵本を躍起となって探し、ミッフィーのイラストを発見すると、顔がふにゃふにゃにとろけてしまうという弊害が出た。
困ったものだ。

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