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祇園祭 曳初め

新町通の曳染め3 船鉾

04/7/16

あんまり長くなったので、ページを分けました(>_<)

 

さて、今度は四条通から、船鉾のもといた仏光寺通の定位置までバックします。
曳き初めではUターン(辻回し)はせずに、逆方向に曳き変えるのです。
音頭取りのお兄さんがたが船尾に移動して来て、出航を待ちます

放下鉾はすでに北へ行ってしまったようですね。

 

もう1度エンヤラヤー
かっこいい!

回りは私のようにカメラを向けている人がいっぱいです。

この音頭取りのお兄さんがた、めちゃくちゃかっこいいです!
息がぴったり合っています。あたりに響くような、大きな掛け声

巡行の間、音頭取りの人はずっと扇を動かし続けます。
その動きが、舞の振り付けのように、ふたりぴったり一緒なのです。

鉾は動くたびにきしんで揺れます。ゆっさゆっさという感じ。
お囃子は鳴りっぱなし、時々掛け声が聞こえてメリハリがある。
お囃子は、巡行の伴奏なのです
お囃子が始まると鉾が動き出し、鉾が止まるとお囃子も止みます。

 

こちらはワシのいる船首ですが、今は後ろになっています(^_^;)。
ほら、船鉾のすぐ前に、岩戸山が。
岩戸山もぐらぐらギシギシ揺れながら動いて、自分の場所に戻る所です。

新町通はこのとおり狭いので、狭い中を鉾が動くのは迫力。

左横にある、木の橋げたのようなもののあるところが、船鉾の町会所です。
船鉾はここを過ぎて、さらに数メートル南下し、
音頭取りの人がふたたび前に移って来て音頭を取り、
そして定位置まで戻って来ました。

そして戻って来ると橋げたを渡して、お囃子方の人を降ろすのです。
夜になると、この橋げたから鉾へ渡り、一般の人も見学可能です。

***

 

さて、曳き初めを見て大変感動しました。

本番の山鉾巡行は人が多すぎて、とてもこんなに間近で鉾が動き出すところを見ることは出来ないと思います。だからつぶさに見られて、ものすごくラッキー。

私は、山鉾巡行というと、しんきくさくて、だらだらとしていて、やる気なさげに鉾を曳いているアルバイトのお兄ちゃんの印象が強かったのですが、間近で見た鉾曳きは、そんな悠長なものではありませんでした。

何十人ものお囃子方を乗せて曳くのだから、鉾はギシギシと軋みます。
鉾の左右では、車輪をコントロールする係の人が何人もで間断なく車輪を進めてゆきます。
車輪があっちの方向に進まないように、まっすぐに進むように、調節する人がいるのです。

素人の鉾曳きの人たちの一番前には鉾町のベテランの曳き手がいて、縄をコントロールしています。
この縄自体も年代もので、丁寧に扱われ、鉾曳きが終わると巻いて仕舞われます。

人の背ほどもある車輪がギシギシと軋んで廻り出すさまは、本当に感動します。
10トンほどもある鉾が人に曳かれ、そしてあの車輪で動いているのを目の当たりにするのは言いようがないほどの感動なのです。

鉾が動くためには、メインで目立っている人たちだけでなく、いろんな人の力が必要なのです。準備をする人、後片付けをする人。音頭取りの人も、ただの飾りではない。
あの人たちの掛け声で、多くの人が力を合わせることが出来る。
言わば鉾巡行の指揮者です。

こういう縁の下の力持ちの力を総動員して、あの美しく飾りつけられた鉾が、きらぎらしく動き始める。


今回のだいたいの鉾位置

 

足利義満は祇園祭が好きで、四条東洞院に桟敷を構え、藤若(のちの世阿弥)と巡行を見学したと、ものの本に書かれていました。

その時、藤若と同じ食器から食べ物を食べたので顰蹙をかったということですが、私が思うに、義満はきっと、藤若にアーンさせて、食べさせたのだな。絶対そうに違いない。
そうやっていちゃつきながら、祭を見学していたのだ。
世阿弥、藤若は義満の寵童であったのだから。

義満は、よくよく美しいものが好きだったのだろう。

義満が見たと同じ祭を、私たちが今でも見ることが出来るとは、何という幸福でしょうか。
あの鉾の晴れやかな飾りつけには、義満の時代の、京の美意識が詰まっている。
それを今に伝えて来た、室町の町衆の人たちの努力に敬意を表すると共に、京都に生まれて来たことを、神様に感謝せずにはいられません。

 

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