同志社 パート2

上京区烏丸今出川上ル

04/11/20

さて同志社大学のキャンパスを烏丸から東向いて歩き、正門に達すると、通りを挟んで同志社女子大学があります。
現在は女子大も移転しているので、どうなっているのだろう。一部は残っているらしい。

まあ、そういうわけでこの女子大の校舎も全部赤レンガ建築で出来ており、指定はないからそれほど古いものではないけれど、見栄えの良い、素敵で美しい建物が並んでいるのです。

 


アーモスト館

同志社大学の正門(御所の今出川御門の向い)と通りを隔てて建っているのが、このアーモスト館。
同志社の正門から相国寺へ行く途中に見えて来ます。

アーモスト館は寮だったと思う。
同志社に寮なんてあったのかと驚いたことがあったけれど、
時々公開もしていて、そこに見学に行ったことがあった。
ちゃんと寮として使われていました。

門も、かわいい♪
アメリカ開拓時代の典型的スタイル、ということだが、
素晴らしいデザインの建物である。
竣工は昭和7年、設計は何とあのヴォーリズ。

アーモストというのは、アーモスト大学のアーモストさんである。
新島襄と深い繋がりがあります(あいまいな説明)。

 


啓明館

アーモスト館の隣にあるのが、この啓明館。
これは、女子大のキャンパス内にあるが、同志社大学の建物かもしれない。
このへん、ちょっと紛らわしい。

この建物は特に指定もなければ有名でもないので、新しいものかも知れないのだけれど、
建物のデザインはなかなか素敵なので写真に撮った。

この前の道をゆくと、相国寺。
電線が縦横無尽に張り巡らされているのが、京都の特徴(>_<)

 


同志社女子部 栄光館

さて同志社女子大からさらに東に進むと同志社女子中・高があります。

つまり、西から同志社大学、同志社女子大学、同志社女子部と並んでいるわけです。

同志社女子部は、京都でもお嬢さま学校の最高峰です。
お父上は医者、弁護士、法曹界という人多し。
お金持ちの上、頭が良くないと入れない。

というふうに、今はなってしまっています。

葵祭りでは楽勝で斎王代当確、という感じ。
事実、斎王代は同志社の人が多いです。

でもウン十年前はぜんぜんそんなことなかった。
なので貧乏な職人の娘で頭の悪い私なんかでも、滑り込みで入れたのでした。

 

栄光館は、そんな女子部の講堂兼チャペル。

女子中・高・女子大が使いまわしています。
指定はありませんが、プロテスタントらしい、簡素さが好ましいデザインです。
中には大きなパイプ・オルガンが据えつけられています。

昭和になってからの建物で、コンクリート作りですが、設計者はかの武田五一。
上部の八角の塔がいい♪。

 

このチャペルは、始業式、入学式、卒業式、終業式などのほか、毎日の礼拝にも使われています。
中学生と高校生が一度に入れるほど広くないので、交代で礼拝します。
栄光館に入らない日は、自分のクラスで朝礼をするのです。

朝礼のために入っていくと、既にパイプオルガンがバック音楽を奏でています。それはいつもバッハで、たいていトッカータとフーガだったと思います。
起きよ夜は開けぬ、物見らは叫べり、起きよエルサレム、と演奏され、眠い目を無理やり起こされる。
そしてパイプオルガンの伴奏で賛美歌を歌うのでした。

同志社女子部の建物はほかにも沢山あり、もともとは煉瓦造りの古いものだったが、清和館など一部は取り壊されてしまったということです。私たちが学んだ学舎です。木の廊下、木の階段で、歩くとみしみし言った。確かに古くてもう、かなり老朽化してはいたけれど、壊してしまうとは…。
時というのは残酷なもの。

 

ちなみに、同志社女子は同女(どうじょ)、ノートルダム女学院はダム女(ダムじょ)、京都女子大は京女(きょうじょ)、平安女学院は平女(へいじょ)と呼ぶのが京都の常識。
知ってた?麻生K子さん。

この項、文が多くなってしまいましてすいません。

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