同志社

上京区烏丸今出川上ル

04/11/20

同志社大学は現在、今出川キャンパスと、京都の南、ほとんど奈良ではないかと思われる、近年合併して京田辺市となった地方にある(無知)田辺キャンパスの二つに分散されている。

明治時代に創立者・新島襄が、山本覚馬とともに英学校として最初に作ったのはもちろん、薩摩藩の跡地を利用した今出川キャンパスである。
この今出川キャンパスは校舎が赤レンガで出来ており、そのうちの5つが重要文化財に指定されていて、日本で最も美しいキャンパスと評されている。

今出川通を挟んで御所のすぐ北側という景勝地。休み時間になると御所へ行って一休みという学生も多し。そして同志社の北隣は相国寺。この一帯は何とも不思議な歴史の景観を形作っているのだった。

 

明治時代、京都は学校の建設に力を入れた。それは、京都が天皇を奪われたあと、近代都市として生きていくための、苦肉の策でもあった。
そんな時代の象徴でもある同志社大学のキャンパス。この美しいキャンパスの建築は、煉瓦好きの私も当然大好きだ。見ていると、なぜかしっとりとして気持ちが落ち着くのだ。同志社は私の母校でもある。
それでは京都でも有数の煉瓦建築と言われる同志社を見て行きましょう。

 


同志社中学 彰栄館

地下鉄の烏丸今出川で降り、烏丸通の門からキャンパスに入ると、まずこの同志社中学の建物がある。大学のキャンパスに中学の建物が食い込んでいます。大学の北に中学があるのです。
この彰栄館が、重要文化財指定です。なかんずく、京都で最古の煉瓦建築だということです。
竣工は1884年、設計者はグリーンという、宣教師さん。

 

時計塔と、それに続く廊下の張り出しがとてもグッドですてきなのですが…
ヲイ。
誰だ、ここにタテカンを置くのは!
学生たちよ。
お前らはいやしくも重文の前にきちゃないタテカンを置いて恥ずかしくないのか。
何だ、このザマは。
とわたくしはイカリが収まらないのでした。

 


チャペル

彰栄館の横にあるのがこのチャペル。

これが同志社の象徴として、大学パンフレットなどにもさんざん登場している有名なチャペルです。
もちろんこちらも重文です。
設計は宣教師D.C.グリーン、1886年。

周りを木が取り囲んでいるので、写しにくい!

 

同志社はキリスト教英学校として開設されましたが、プロテスタントです。
新島襄は、アメリカに密出国して*、アメリカのキリスト教を学んで来ました。
そんなわけで、チャペルもヨーロッパ系のゴシックではありませんで、
完全にアメリカン・ゴシックの簡素な様式です。

*函館に、新島襄密出国の地という記念碑がある。

ちんまりと小さく纏まっていながら、この煉瓦づくりの濃密さがたまらない。
内部も簡素ながら美しい、らしい(入ったことない)。

ここは、日曜や祝日になると、同志社大学出身生同志の結婚式が行われています。
うーん、ロマンチック。

 

no photo(>_<)

クラーク記念館

 

さて、キャンパスの東奥には、クラーク記念館という、同志社の煉瓦建築の中でもひときわ派手で、目を引く建物があるのだが、現在修復中(>_<)で、見ることが出来ない。
背の高い、小さな丸い屋根の塔がぴょんと飛び出ている、キュートで素敵な建物なのだが、残念。
クラーク記念館も重要文化財です。
1893年にゼールという人が設計したもの。

クラークというのは、アメリカ留学中に新島襄が世話になったアメリカ人夫妻。

 


ハリス理化学館

ここも古そうで、素敵な建物なので写真に撮っていたら、門の前に重要文化財と書いてあった。

でも、ここの名前がハリス理化学館だというのは、つい今まで知らなかった。
私ら学生は、こういう建物に入ることは出来なかった(と思う)
クラーク記念館も入ったことがないのだ。

手前に芝生があるので、建物全体を撮ることが出来ないが、写真で見る以上にかっこいい。
私は特に、正門の上のレリーフ文字がいいなと。

この建物の設計者はハンセルというフランス人。
ハリスさんは、同志社に寄付してくれたアメリカ人の実業家。

 


有終館

ここも何やら古そうなので撮っておいたら、ここも重文指定があった。

新島襄のころは、図書館として使われていたという。
設計はグリーン、竣工は1887年。

上の写真は、北側から撮ったところ。

 

有終館の、東側から。

この建物は上から見るとほとんど正方形の、ずんぐりした十字架型になっていて、
隣の建物とアーチが渡っていて、廊下で繋がっています。

このように、同志社大学の煉瓦建築と言っても、建物のデザインはそれぞれまったく違う形で、ばらばらなのです。
というよりも、それぞれに趣向を凝らした、別のデザインで勝負してみたということなのだと思う。

すぐ隣には新しいコンクリ造りの校舎が建っていたりする訳ですが、すべて赤茶色の煉瓦色で統一されており、それぞれ浮くことなくキャンパスに馴染んでいます。

ただ、校舎の前には告知板とか、夥しい自転車とか、植え込みに木が沢山生えていたりするので、見とおしがいいわけではない。まあ、建物を展示しているスペースではなく、勉学するためのキャンパスなのだからそれはそれで当たり前のことなのですが。

ちなみに、今出川キャンパスは、現在では文系の3・4回生と、大学院生が使っています。
だから同志社大学出身でも、一生今出川キャンパスに行ったことがない学生もいるわけだ。
私らのころは、田辺校舎がなかったので(>_<)、全員今出川(か新町校舎)で勉強していたのであった。

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